2012/9/25課題 (9/25締切)


イジメ問題解決策  <紙上プレゼン> の分析とまとめ



様々な「紙上プレゼン」を読んで感じたことは、多くの人がいじめ問題解決には人との関わり方が重要だという考えを持っていると感じました。自分もとても同調できる意見ですが、人それぞれの個性、外向的な性格、内向的な性格を一人ひとりが受け入れられるかどうかだと思います。人間はロボットではないので、一人ひとり異なった感情を抱くのは当たり前で、その部分を抑制することはできませんが、その部分を乗り越えて互いに理解しあえることが一番だと思います。内向的な人には積極性がなく、対人関係が非常に薄いため、だれにも相談できずに一人で抱え込んでしまって、ついに抱え込もことができなくなり自殺してしまうという見解もありましたが、確かに普段から人付き合いがなければ救えない命かもしれません。ですが内向的な人が声をかけられないのであれば、外向的な人が声をかけることはできないのでしょうか。人とのネットワークを広げてみることが大切だと思います。High-level forms of violence such as assault and murder usually receive most media attention, but lower-level forms of violence such as bullying have only in recent years started to be addressed by researchers, parents and guardians, and authority figures.(攻撃と殺人のような暴力のハイ・レベルの形式は通常ほとんどのメディアの注目をされます、しかし、いじめのような暴力のより低いレベルの形式は単に近年研究者、親および保護者、および権威者によって発言され始めました。とあるようにもっと全世界の人々がいじめ問題に深い関心を持つことが解決の一歩目となると思いました。




英語版のウィキペディアのいじめの定義はこうです。Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. (いじめは繰り返される肉体的あるいは精神的にで他人を傷つける繰り返される活動。)Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(いじめはもう一人の人に対する支配力を獲得するための行動であることが特徴的である。)日本版のウィキペディアのいじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」「肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力いやがらせなどによって一方的に苦しめること」ということなので双方の定義にあまり違いはありません。ここで私が注目したのは英語版のウィキペディアの定義にある「支配力を獲得するための行動」という部分です。全体の意見にもあるようにいじめの標的とされてしまうのは圧倒的に内向的な人である場合が多いです。外向的な人がいじめられている場合というのは少ないでしょう。外向的な人はその人自身の性格、例えば明るくて話しやすい、多くの人の前で平気で話せる、他人をまとめる能力がある、などで自分自身でも気付かないうちに周りの人を支配しているのだと思います。もちろん支配されている側も自分が支配されていることには気がついてはいません。外向的な人はそしてそこで自分自身の大きな世界を持っていて自分に支配されていない内向的な人に目がとまります。支配されていないことがなんだか気に障る。そのような感情からいじめは始まるのではないでしょうか。もちろんこれは私が考えただけのことなので、これ以外のケースのいじめだってたくさんあります。けれどもいじめ問題は何年も前からある問題にもかかわらず、解決の兆しが見られないのが現状です。正確な解決方法だって1tるもありません。いじめによって年に3万人も命を落としてしまう人がいて、その遺族の悲しみや苦しみを合わせると年に10万人以上の被害者がいるということになるのにもかかわらず、この現状が何年間も続いているのです。大きな何かが変わらないかぎり、この状態はこの先の未来へ何年も何年も続いていくでしょう。こう考えると、いじめ問題を今以上に国の問題の一つとして取り扱っていかなければならないと思います。解決策を探るためには、それをみつけるにあたってまずいじめが起きる原因について考えなければいけないはずです。よく、学校の中でいじめについてのアンケートをとったりしますが国の偉い人たちはあんなもので本当に真実が見えてくるとでも本当に思っているのでしょうか。自分がいじめられていることを人に言えなくて困っている子が、アンケートにだけに素直に答えられるはずがないと私は思います。あのアンケートで得た結果ではいじめはないことになっていたとしても、そんな結果信じてしまってはダメです。いじめに対する対策をとっていると大人たちは言いますが、もしかすると、そんなものは大人たちの自己満足なのではないでしょうか。きっといじめの原因は子供たちだけにあるはずではありません。大人も国ももっともっと今以上に真剣いじめ問題について考える必要があると、感じてきました。いったいいつになったらいじめがなくなる日が来るのでしょうか。この状態ではまったく予想することができません。もしかするといじめがなくなる日なんてこのままずっとこないのではないのかとも思います。けれどそんな将来は絶対に嫌です。平和で明るい未来を迎えるためにも、今、1人1人がいじめ問題の原因について考える必要があると思います。




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(いじめは繰り返され、その攻撃的な行いは人を精神的にも肉体的にも傷つけることになる。)まさにその通りだと思う。いじめは連鎖的に行われるもので、その連鎖を断ち切るのはなかなか大変なことだと思う。それを解決するには、ひとつのいじめが解決されたときにそれを根っこからねこそぎ消去する必要がある。ひとは肉体的に傷つけられるよりも精神的に傷つけられるほうがきつい。いじめ問題は何年も前からある問題にもかかわらず、解決の兆しが見られないのが現状だと思う。年に3万人も命を落としてしまう人がいて、その遺族の悲しみや苦しみを合わせると年に10万人以上の被害者がいるということになる。こう考えると、いじめ問題を今以上に国の問題の一つとして取り扱っていかなければならないと思った。いじめられる人の大部分は内向的な消極的な人でニュースでみる被害者も、最後は手紙などで事実を打ち明けていて、苦しい問題を抱えていても人に直接言えないということがあると思う。それゆえに、いじめという大きな問題を一人で抱えてしまって死という選択肢を選んでしまうのではないだろうか。最近になってまたいじめに関してのニュースが取り上げられるようになった。いじめと死について考えるような人はいじめをする側になることはゼロに等しい。いじめをする人は自分の行為が悪いと思っていないからやってしまうわけであって、その点に自分が気が付かなければいじめは続いてしまうに違いない。内向的だからいじめられるわけではないし、外向的だから絶対にいじめられないわけでもない。私たち人間には個性というものがあって積極的、消極的など正反対の性格がありもちろん内向的、外向的にも区分することができる。いじめを行う人はどのような気持ちでいるのだろうか。自分がいじめていた人が死んでしまったらどう感じているのだろうか。私にはそれが不思議に思われてしょうがない。And I always senced deep down that this was wrong and that introverts were pretty excellent just as they were.(そして、心の中でそんなの間違っている、内向的なことに悪いことなんてないのにといつも感じていました。)このスーザン・ケインさんの言葉が印象に残りました。わたしは幼稚園、小学校の時はどちらかというと内向的でもっと友達と関わりたいや、クラスの明るい女子がうらやましかったのを覚えている。しかしそんな性格も中学を卒業する頃や高校入学を機に変わっていった。いじめられていたわけではないが、そのように内向的がいつまでも続くわけでもないし、むしろ年齢とともに変わっていくことが多いような気がする。しかしそれはいいことのように思っていたがこのプレゼンを聞いてすごくもったいないことなのかもしれないと思い始めた。実際、世界の偉人の中にも外向的な性格の人が多いわけではなくて、内向的な人にこそ内に秘めた特別なもののような力を持っているのかもしれない。いじめをうけている人は自殺者の何倍いるのだろうか、と考えることがある。いじめられたからといってみんながみんな死を選択するわけではないし、いじめと向き合っている人もいると思う。そのような人は全体的にみても少ないと思うし、やはり大事なのはそのことに気づいてあげる第三者の存在だと思う。「いじめられている人の心の叫びにすばやく気づいていれば・・・」という後悔だけは絶対にすることのないようにしていきたい。もっと個人が、特に学生である私たちが、いじめ問題についてもっと敏感になるべきだと思った。「内向的な人は地味で、積極性がなくて、いつも一人」といった偏見をなくすべきだと思った。逆に外向的な人はいつもグループを作り、誰かに意見を合わせているためオリジナリティに欠けている。だれかといつも一緒にいることは決して悪いことではない。むしろ将来仕事に就いた時に、他人と力を合わせて仕事を成功させることが要求される。そういった面では外向的な人のほうがコミュニケーション能力が高いため、いい連携が生まれるかもしれない。最近の学校の授業では、何でも友達と協力して何かをやり遂げようとしている。そんな毎日を過ごしていては、いつの間にか自分で考えることが少なくなって誰かに任せてしまったり、決まっている人だけが行動に起こすようになってしまう。そのため、一人で作業しなければいけない仕事のときに、自分の真の実力を出しきれない人たちが出てきてしまう。そんな時に真の実力を発揮するのが内向的な人だ。内向的な人はグループを作って誰かに合わせる生活を送るよりも、一人でじっくりと考えて答えを出すほうが最もよいアイディアが生まれ、それが自分らしい、ということをわかっているからだろう。内向的な人すべてでが、誰かに関わりたくないから一人でいるわけではないのだ。自分らしさを尊重している証拠であると私は思う。もちろん、グループでいる人すべてが自分らしさを出しきれていないと言いたいのではない。きっとグループの中の人には、1人でいたい時や周りの人に合わせる事に疲れてしまっている人もいると思う。しかし、グループから外れたり、自分の本当の意見をなかなか言い出せなかったりすると、省かれてしまうのでは無いかと思ってしまう人もいるはずだ。だから外向的な人は、そんな内向的な人のことをよく理解してあげるべきだ。そして、お互いの良い所を見つけて、上手く活かしていくべきだと思った。スーザン・ケインのプレゼンであったように、内向的なウォズニアックの技術をジョブズうまく活かして、大成功を遂げた。Now of course,this does not mean that we should all stop collaborating --and case in point, is Steve Wozniak famously coming together with Steve Jobsto start Apple Computer --but it does mean that solitude mattersand that for some peopleit is the air that they breathe.このように、外向的な人がいかにして内向的な人の能力を引き出してあげられるかが重要である。また外向的な人も、一度1人でじっくりと考えてみる機会を設けたほうがいい。So Darwin,he took long walks alone in the woodsand emphatically turned down dinner party invitations.このようにして、ほかの人の考えに頼ることなく自分の真の考えを見いだすことができるだろう。中には、1人でいるということに寂しさを感じるだろうと思う人もいるかもしれない。しかし、1人の時間というのは贅沢でとても貴重な時間である。人々は毎日雑音に囲まれたり、視線を感じながら生活してストレスが溜まっている。だからこそ1人の時間を大事にし、自分自身を見つめなおすことも外向的な人には必要だ。一方内向的な人は、少し勇気を持って自分を出してみることが必要だ。きっと、突然外向的な人が歩み寄ってきたらびっくりしてあまり心を開いてくれないだろう。しかし私たちの生活には内向的な人たちの考えや技術、存在が必要なので、それを知ってほしい。これらを改善することで絶対にいじめが無くなるとは限らないけれど、少なくとも心を軽くすることができると思う。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(いじめは行動が習慣であり、力の不均衡を伴う場合は特に、他人に影響を与える力や強制力の使用によって明らかに攻撃的な行動の一形態である。) Bullying consists of three basic types of abuse – emotional, verbal, and physical. (感情的、口頭、および物理 - いじめ、虐待の3つの基本タイプから構成されています。 ) Bullying ranges from simple one-on-one bullying to more complex bullying in which the bully may have one or more 'lieutenants' who may seem to be willing to assist the primary bully in his or her bullying activities. (いじめっ子は彼または彼女のいじめ活動における主要ないじめっ子を支援する意思があるように思えるかもしれません一つ以上の "副官"を持っている可能性のある、より複雑ないじめにいじめ単純な一対一の範囲をいじめ。 )Bullying can occur in any context in which human beings interact with each other. This includes school, church, family, the workplace, home, and neighborhoods.(いじめは人間が相互に作用する任意のコンテキストで発生する可能性があります。これは、学校、教会、家族、職場、家庭、地域が含まれています。) High-level forms of violence such as assault and murder usually receive most media attention, but lower-level forms of violence such as bullying have only in recent years started to be addressed by researchers, parents and guardians, and authority figures.(このような暴行や殺人などの暴力のハイレベルのフォームは、通常、ほとんどのメディアの注目を集めるが、研究者、親や保護​​者、権威者によって対処され始めたようないじめなどの暴力の下位レベルのフォームは、近年では唯一持っている。)僕はみんなの意見や、いじめに関するWikipediaを見て、いじめを無くすにはいろいろな解決策があると思いました。そしてその解決策を考えるにはとりあえず、何故いじめが起こるかという理由から考えるべきだと思いました。いじめはいじめている人がもちろん悪いのですがいじめられている人はそれを防ぐことができるのです。例えばいじめの理由としていじめている側がいじめられている人をよく見ていないということがあるが逆にそれはいじめられている人は自ら自分の意見を言うことで解決できると思う。そして周りの大人が子どもを、子どもの未来を大切にしながら地域として国として育てていくことが重要だとおもっている。子どもにとっても未来を考えることは自分を育てるよい方法だろう。未来に夢があれば余計なことに労力をつぎ込むことも少なくなる。夢を持つことは本当に大きな力になると信じている。夢を叶え、子供たちの夢をつくれる人になれたらなんて素晴らしいだろうか。子どもの夢って尊重するべきだと思わないだろうか。それはいいとしてイジメを解決するには社会としてどんな人へも過ごしやすい居場所を作ることが第一優先的にすべきだ。このようにいじめはいじめている人、いじめられている人の他にその周りの大人達(学校の教師や、いじめている・いじめられている親)にも責任があるのかもしれない。まず教師の場合はいじめが起こっている時はそれを発見できなければ意味がない。クラス内のいじめにも気づけないような教師は本当に生徒のことを考えているとは言えない。「いじめ問題については絶対にあってはならない解決しなければならない」それがすべてではないがそういう気持ちももって教師になっているはずだ。しかしどうだろうか。毎年いじめによって多くの若い命が奪われているがテレビでそれについての会見をやっているのを見るとどこの学校の職員も「そのようなこと(いじめ)が起こっているということに気づかなかった」という言葉を耳にするが気づくことができなかったという理由だけで許されるのだろうか、疑いたくは無いだろうがいじめがあるのではないかと疑い、考えなければいじめを発見できないしこの重要な問題から逃げているのと一緒である。なので学校の教職員はいじめなんか起こるはずがないと決定付ける前に一回いじめが起こっているかもしれないと考えてみることが大切だと思う。親の場合、いじめられている子供の親は教師と同じように素早くいじめられていることに気づいてあげなければならない。子供の様子とかを見ると変だとか親なら分かるはずである。もし子供が無理をして親に隠そうとする家庭であればまず子供から親にいじめられていると相談ができるような親子関係を築くこと、つまりは親子内は仲良くすることが大切である。いじめている側の親は気づくこともそれをやめさせることも難しいと思う。しかしいじめている側の親も子供から今日あった出来事などを話してもらうことで気づくことができなくもないと思う。でもやはり難しいので教師、いじられている子供の親が気づいてあげることで解決につながるはずだ。ただ最近いじめを発見してもそれを見て見ぬ振りをする教師、親もいる。それは1番たちが悪い。厳しくなるがそのような大人は親・教師失格だ、教師ならそんなことをするのは教師に向いていないので辞めるべきだ。またこれから教師になりたいと思っている人はいじめ問題は今、1番深刻な問題なのでそれを解決しようと思わないのなら別の仕事に就いたほうが良い。加藤先生が言っていたようにいじめ問題は今世間で騒がれている東北地震よりも明らかに重要で規模が大きいので世界が抱える1番大きな問題だ。よって先ほど説明したいじめ問題を解決するにはどうすれば良いかはみんなわかっているはずだ。事実、この時事英語の課題でも40人以上の生徒がそれぞれ別の解決策を発表していて「そのような解決策もあるんだ」ととても参考になる。なのにいじめがなくならないのはそれを実際に行動しないからだと思う。だから世の中の人は自分が思う解決策でいいから実行する勇気をもつことが1番大切だ。




まずいじめの原因はどこにあるのか?ここでは「イジメをする加害者側」と「イジメを受ける被害者側」の二つという意見を注目す。今回皆の意見を調べた結果から大きくそれぞれ被害者に2つ、加害者に1つあると考えた。まず被害者側の要因から。いじめられる側≒内向的な人という意見が多かった。内向的な人は自ら集団から離れたように思われがちだが、そうではない。集団の中心にいるような人間はみんなで行動することに楽しさを感じるがそうでない人間にとっては集団からの誘いも魅力的には思えず断る。何の罪悪もなく、むしろ平穏に過ごしているのだ。 しかしそうしたら集団はその人に良い印象を覚えず避けはじめたりする。これが1つ目の要因。2つ目は内向的な人の性質。いじめが起こるとそのことを親や教師にいうことが難しくなり、心に鬱ぎこむことが今までの自殺を見ていても多い。次に加害者側の要因。私が気になったのは加害者≒外向的な人という考え。彼らから見ると内向的な人は変りものではみ出し者は自分たちとは違う、いわば異質な存在として認識し、それをいじめの格好の標的としてしまうのではないかという意見があった。ここで個人的な意見を言わせてもらうと、私は必ずしもいじめる人=外向的な人とは思えない。いじめはある一人が複数の人からおこるもの。だからいじめは集団という複数の人数で構成されているものからおこりやすい。 では、その集団の人たちは全員外向的な人たちなのか?中には内向的な人もいるだろう。というより「実は内向的な人」のほうが多いと私は思う。たとえ内向的な人全員で構成されている集団の中でも誰かしら行動を進めるリーダー的存在がいる。そのリーダーが外向的でいじめを始めた場合、内向的なメンバーは自分もいじめに加わらないと集団での自分の立場を失うと恐れ、本心ではいじめはいけないと思っていてもノリでいじめてしまう人もいると思う。だから私は「=」を使わず「≒」と使ってみたのだがどうなのだろうか? さて、本題に戻るが加害者と被害者の人的要因以外にも環境的要因がある。今回の皆のまとめから2つ。今の社会は外向的な人を求めそれに伴い、子供を外向的にさせる教育をしているという考え。もう一つは命の重要視がだんだん薄れてきていること。いじめられ、自分の存在価値を見いだせなくなった人が自殺してしまうこと、最近のニュースなどを見てもわかるように加害者側の反省のなさがその例だ。また夏休みの宿題が終わらないからという理由だけで自殺しようとした小学5年の女子児童には驚いた。次に皆のまとめを見て印象深かったものをここで紹介。・いじめを認めることは戦争に賛成することと同じ。この考えの根底にあるのは「武力で解決する」か「話し合いで解決する」か。 いじめとは関係ないが今問題になってる日中間及び日韓をめぐる領土問題でもこの武力で解決するという手段は絶対取ってほしくない。・転入生は「注目の的で、最初はみんなにちやほやされる」という印象になっていたが、本州では違うようだった。転入生はまずみんなから距離を置かれて、イジメの対象になってしまうということも少なくはないようだった。 私も道内で転校しかなかったが別にいじめにあうことなんてなかったから余計に驚いた。それではいじめの原因がだいたいわかったところでここでみんなの対策案をまとめてみる。まずはいじめられている側のひとへの対策。エスカレートを避けるには自分の意見をはっきり言えること。子どもの話をじっくり聴くという行為は、その子どもの心の成長を促す。 外向的な人にも対策。相手の嫌がることはしない。「いじめ」という行動に走っていることに恥を覚えるべき。みんなが相手の嫌がることをしなければ、最初からいじめなんて起こらない。そしてスーザンさんが「気を散らすものから離れ自分の思索にふける時間を増やしましょう」というように1人の時間を大事にし、自分自身を落ち着いて見つめなおすことも必要。全体的な対策では大きく分けて4つ。まずはコミュニケーション能力を成長させるという考え。グループというものを大切にしていくことが重要で新川高校の数学の時間で取り組まれていることもある「学びあい」も良い関係を作っていくので賛成という意見もあった。二つ目はバランスのとれた空間が大事という考え。例えば仕事では、内向的な人の意見をとりいれつつの、外向的な人が他の誰かにそれを伝えることができる。3つ目は被害者から判断する考え方。明らかにいじめられる側にも問題がある場合周りの人間が助け船を出す必要はない。よって自分たちで解決するか、先生に助けを求めればいいだけの話なので、これはいじめではなく、長期にわたる喧嘩だととらえるのが妥当。もしこのいじめられる側には問題がない場合、周りが解決策を考えなければならない。いじめる側の感覚で、ただなんとなくむかつくからとか、見た目とか、そんな理由でいじめられている人を周りは助けるべき。そして4つ目。学校で行われているいじめは、把握できるのは周りの生徒と先生だけだから先生が中心となって解決するべきなどたくさんの対策案があった。さて皆が色々な対策案を考えたが、ここ数年では「ネットいじめ」、新たな種類のいじめが生まれている。次の文章はアメリカのWikipediaのいじめの記事にあったCyber-bullyingという記事である。Cyber-bullying is any bullying done through the use of technology.(ネットいじめとはあらゆる科学技術を使って行ういじめである)This form of bullying can easily go undetected because of lack of parental/authoritative supervision.(このいじめは保護者の監督不行き届きで簡単に察知されないでできる)Because bullies can pose as someone else, it is the most anonymous form of bullying.(なぜならこの種のいじめは匿名性で誰かに装ううことができるからだ)Cyber bullying includes, but is not limited to, abuse using email, instant messaging, text messaging, websites, social networking sites, etc.(ネットいじめではこれに限らず、Eメールを悪用したり、インスタントメッセージや携帯でのメール、ソーシャルネットワーキングサイトなどある)Particular watch dog organizations have been designed to contain the spread of cyber-bullying.(専門の監視団体がネットいJめの拡散を抑える計画をしている)このようにいじめも時代とともに変わってきている。わたしたちは発展して行くなかで、いじめとどう付き合っていくか考えながら生活していかなければならないのだ。




意見全体を読ませてもらっても自分の考えは変わらなかった。それは、多くの人が同じようにいじめ問題解決を願っているということだ。Wikipediaによると“Bullying consists of three basic types of abuse ? emotional, verbal, and physical. It typically involves subtle methods of coercion such as intimidation.”(いじめは3つの嫌がらせの基本形から成る。それは感情的、言葉的それと身体的な嫌がらせである。)そうだ。嫌がらせなのだ。そう聞くとすごくくだらないことのように思えてしまうのはわたしだけではないだろう。実際はじまりは何でもない小さなことなのだろう。それをエスカレートさせてしまうのは当人たちだけではなく、周りで見て見ぬ振りをする同級生や先輩後輩、そして教師にも大きな責任があるる。わたしたちのような年ではまだまだ未熟な人間が多いためまともな人間関係を作るのは難しい。そのため本当に困った事態になってしまったとき助けてくれる友人は少ない、いやいないことがありえるかもしれない。それ以上に教師と生徒の信頼関係は薄っぺらいと思っている。ニュースで無責任な教師の言動が放送されるたびに、生徒はもしかしたら自分の学校の先生も…と考えることが多くなる。これも教師にいじめの相談ができない理由のひとつに十分になる。たとえば親に相談したとする。親はが真っ先に連絡するのは学校だ。そこで対応するのはもちろん教師である。教師が現実を受け入れ、被害者側の気持ちを少しでも理解しようとしなければ結局ほとんど何が変わることもない。周りの大人がどれだけ冷静に、なおかつ真剣に行動できるかで小さな命が救えるか変わってくるということだ。内向的であろうがなかろうが自分の意見を人に伝えることができれば社会はより活発になるだろう。日本人に少なくないのが人の意見に同感することが自分の意見だという人だ。自分の意見は持つべきなのに同感、同情が多くなっていると思う。同情してかわいそうだと思ったりすることに重要な意味があるとは考え難い。自分の意見で行動できる人間はどこにいても存在感があるだろうし損するようなことはほとんどない。いじめの解決とは直接的には関係ないのかもしれないがわたしはこれが大切に思える。コミュニケーションをとれるのだからとらないでどうする。相手がなんであろうと自信の持てる自分の意見を伝えることが大切。それから、Wikipediaには“Bullying can be defined in many different ways.” (いじめは多様に定義されている。)とも書いてある。いじめとは多様に定義されてしまっているのだ。わたしがまったく想像もつかないような昔から人の人に対する嫌がらせはあったはずだ。その頃とは明らかにやり方が変わっているだろう。たとえば今では頻繁にインターネットを利用したいじめがおこなわれる。技術の進歩があってこそのやり方だ。心が弱くなったと言われている現代の若者にとってはやり方なんぞ無関係につらいだろう。The UK currently has no legal definition of bullying,while some U.S. states have laws against it.(イギリスでは現在いじめに関する定義はない。その一方でアメリカの州にはいじめに反対する法律があるところもある。)いじめに対しては犯罪とみなすべきだと考えている。どんなに小さな嫌がらせのつもりでやったとしても被害者側にとっては生きて行くのがつらいほどのことかもしれない。まさしく自殺をするほどに。そうなると殺人事件として考えても構わないと感じたのだ。たとえ直接的でなくても命を奪ったのは確実にいじめの加害者である。そんなの裁かれて当然だろう。むしろ放っておくなんて人間のできることではない。アメリカのいくつかの州が正しいと思う。イギリスはどのような考えをお持ちでいらっしゃるのか大いに興味深いところでもある。それはともかく、他人を理解することは困難なことだと考えている。そうは思わないだろうか。自分の持っている常識とはまったく外れたことをする他人もいれば、同じような他人もいる。あくまで、ような他人である。完全に同じ人間なんて存在しない。1人で生きていけるなら他人を理解するための時間なんて必要ない。理解する必要がないから。だがしかしそうはいかないのである。1人で生きていける人間だって存在しない。少なくとも幼少時代には親をはじめとした周りの人と関わりながら生きていく。どんなにコミュニケーションが嫌いだと思っていても関わらなくてはならないことは必ずある。わたしもコミュニケーションはまったくもって得意でないがそこは腹をくくるしかないとかんがえている。わたしの場合はむしろ、得意を目指しているため訓練的に、と考えていてチャンスは大切にしようとしている。それはともかくコミュニケーションを通して他人を理解しようとすることは重要な点であると思う。相手の立場に立ってものを見れることが嫌がらせを防ぐことにつながるだろう。たとえば、あんなこと言われたら自分はどう思うかなというような非常に単純で簡単なことにすぎない。文字の書き方も知らないようなときに大人にご指導いただき、強く心に響いた言葉だ。なぜこのような基本があいまいになってしまうのか。わからなくなってしまうのか。周りの大人の原因が小さくないのではないかなと勝ってながら考えている。自分のしようとしていることが人間性のあることか、よく考えてから言動すべき。自分以外を理解しようとすることからはじめましょうか。





ほとんどの人はスーザンさんの意見に概ね賛成のようです。外向的な人、内向的な人をどちらも平等に評価するべきだ、と。そこからのいじめに対する意見は様々でした。ある人は、内向的な人を認めればいじめはなくなるといいます。またある人は内向的であることといじめられる人との関係はないといいます。別の人は、勇気を出して一人信頼出来る友達をつくればなくなるといい、ある人は周りから理解していくべきだといいます。ほとんどの人がいじめをどう解決するかに観点を当てているのに対し、「いじめは解決できない」という人もいます。「自殺は他殺だ」という人が私のほかにもいます。本当に様々でした。傾向と言えるものとしては、ほとんどの人は「いじめる側が悪い」という認識をしている、ということです。さて、ここでいじめの英語のいじめwikiの説明を見てみましょう。Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(いじめとは、その振る舞いが習慣的であり、力がアンバランスであるとき他者に暴力をふるったり圧力をかけることによって攻撃することである。)ということです。「別に大して日本と変わんなくね?」と一瞬思ったのですが、この文には重要な文節が欠けていました。「集団による」という言葉が入っていないというのは日本では有り得るでしょうか?いえ、日本で「イジメとはどういうことか」と聞くとほとんどの人は多勢が少数(一人)を攻撃する・・・というような表現をするでしょう。実際、その通りだからです。もちろん、この文章に人数の話が書かれていないのはただ単に忘れていただけかもしれないし、私の日本語訳ミスかもしれません。でももしかすると、あちら側では人数というのは大したことではないのかもしれませんね。例として表すなら、日本でのイジメは「かごめかごめ」のイメージ。英語のwikiから読み取れるのは、「のびたとジャイアン」みたいなイメージ。まあ日本の教育で、「傍観してるやつも同罪」ってのがありますから(これは正直意味がわからないと思う)、クラスで一人いじめられてたらその他みんないじめてるやつ、という感覚も無きにしも非ずといったところでしょうか。では次は日本のwikiからこんな文章を。{具体的ないじめに相当する行為の種類によって分類した場合、暴力系のいじめとコミュニケーション操作系のいじめの2種類がある。いじめの形態に注目すると、排除のいじめと飼育のいじめの2種類がある。}だそうです。暴力系というのはそのままの意味です。コミュニケーション操作というのは、暴力と反対で精神的に追い詰める型。排除は無視だとか排斥。飼育はまぁ、そのままでしょう。実際のいじめは種類ではコミュニケーション操作系の多く、また形態では飼育系がほとんどということです。つまるところ陰湿というわけでしょう。陰湿であろうがなかろうが許されることでもありませんが。私がよくネットで目にするいじめ体験談系の話も大抵ここでいう「飼育系」でしたし、日本でのいじめというものを更に具体的に示していますね。さて、ここまでいじめというものがどういうものなのかを書いてきました。新川で私の知る限りはなさそうだなぁ・・・、というわけで関係ナシを決め込みたいのですが、タイトルがいじめ問題解決となっているので一応解決への糸口を考えてみます。まず、いじめの原因ですが、それはいじめる側にあります。稀にいじめられる側も悪いなんていう愚か者もいますが、はっきり言って有り得ません。そもそもほとんどの場合いじめる側はいじめられた側に被害を受けていないです。ほとんどはいじめた側がストレスをいじめによって解消することだったり、単にパシリ的存在が欲しかったり、支配欲で心を満たすわけです。器が広さが狭いの連中のすることですから私にも詳しい理由はわかりません。結構想像で書いています。しかしあながち間違っているわけでもないかとも思います。ではいじめの原因がいじめる側にあるという前提で解決の糸口を再び探していきましょう。・・・原因があるから結果がある。いじめの原因をなくせばいじめはなくなるでしょうか。ここでいう原因は先ほどの「いじめる側のストレスが~」ということです。しかし、そう簡単ではないでしょう。いじめている連中というのは先ほども書いたとおり器の広さが狭いので、考えることも普通ではありません。ですから、どうにかするのには・・・例えば、ジャイアンより立場が上のジャイアンのお袋がいます。ジャイアンは母親の前では何もできないというわけです。そこから考えると、外側からどうにかするのはできなくもないかもしれません。でも、そういう場合また違う場所でいじめられるので根本的な解決にはならないことが多いでしょう。では、どうすればいいかというと、一般論に戻ってしまうわけですが、いじめられてはいないが、いじめている側でもない人たち、傍観者がどうにかするしかないのです。この、いじめに関わりを持たない(と思っている)人たちが一人でも、たった一人でもいじめられている人に普通に接してあげることによって、いじめられている人の負担はかなり少なくなるはずです。そこから後は難しくないはず。いじめられる人というのは得てしてなかなか接しにくいと思いますが、人によって良いところというのは絶対あって、話さなければわからないものです。誰かが助ける、というよりは普通に接して友達になることが解決への早道ではないでしょうか。私なりのいじめ解決法はこうなります。もちろん、私がこの立場になれば絶対話しかけにいきますよ!





いじめにはたくさんの手口がある。しかし、被害者のタイプはだいたい決まっていることがわかった。主に、「加害者が自分より弱いと思った人」 「地味で静かで自分の意見を言わない人」 「何をしても文句も抵抗もしないお人よしな人」 など、いわゆる内向的な人が多いようだ。しかし、内向的な人=弱い 地味 お人よし というのは、外向的な人によるただの偏見だ。内向的な人がよく静かさや1人を好んでいるのには、自分が外向的だと思っている人も見習わなければいけないような理由がある。それは、本当の自分を知っているからだ。外向的な人の中には、いつもグループの輪の中にいて、周りと意見を合わせて安心するような生活を送る日々に嫌気がさしている人だっているはずだ。大切な自分の気持ちを犠牲にしてまで、周りの人に合わせる必要などまったくない。自分に一番合っている場所でのびのびと力を発揮するのが、みんなにとっても、自分にとっても一番いい。誰もが気持ちよく過ごすためには、お互いのことをわかってあげることだ。 [I]f boys or girls are able to stand up for themselves, being attacked by enemies can help their development. Studies have shown that children become more popular among, and respected by, teachers and fellow pupils if they repay hostility in kind. They remember such experiences more vividly than friendly episodes, helping them to develop healthy social and emotional skills.(もし少年または少女が自分自身のために立ち向かえるのなら、敵に攻撃されることが彼らの成長に役立つことができる。もし彼らが敵意を感じたら子供たちはもっと集団の中で人気になり、尊敬される。先生や同級生によって。彼らはやさしい思い出よりもっと生き生きとしたそのような経験を覚えていて、正常な社会や情緒的スキルを発達させる。)確かに、立ち向かってやろうと1人1人が決心することによって精神的にも強くなれるし、そこで暮らしているみんなの環境が変わることができるだろう。また、「「深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子どもにも起こりうる」もので、児童生徒1,000人あたりの7.1人がいじめを受けている。いじめに関する追跡調査では、「小学校4年生から中学校3年生までの6年間の間に、いじめ(仲間はずれ、無視、陰口)と無関係でいられる児童生徒は1割しかいない」ことが指摘されている。」」これは、携帯電話やインターネットの普及も原因のひとつと考えてもいいだろう。ネチケット等、正しい利用方法を身に着けていないため、いじめの手口の一つとして利用する人がでてきてしまっている。また、誰かの陰口が飛び交っている現状をおかしいと思う人が少なくなっているのも環境の変化だと思う。やはり1人1人がいじめについて考え直し、今の現状を素直に受け入れることによって、良い環境の変化を生みだすことができると思う。




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(いじめとはわざと他の人を繰り返し攻撃して肉体的精神的に傷つける行為です。いじめは個人が他人の力を得るのに確実な方法であるという特徴があります。)この文を読んで、いじめの加害者は他人をいじめることによって自分のうっ憤や憂さ晴らしをし、他者よりも上位にあるという満足感を得たいという傾向があることがわかります。これはダン・オルウェスによる研究結果です。先日某番組で教育評論家の尾木直樹氏がいじめの加害者は受験や家庭などのストレスがたまっておりその矛先が被害者にいくという風なことをおっしゃっていました。それは家庭などにも問題があるかもしれませんが、だからと言って被害者を攻撃していいということではありません。何の罪もない被害者をいじめて自分たちの欝憤を晴らすようなことが許されるはずはないと思っています。大津市の事件でも加害者たちはきっとただ面白くただストレスを解消するためにいじめをしたのだと思います。Some researchers have suggested that some bullies are "psychologically strongest" and have "high social standing" among their peers, while their victims are "emotionally distressed" and "socially marginalized".Other researchers also argued that a minority of the bullies, those who are not in turn bullied, "enjoy going to school, and are least likely to take days off sick."(何人かの研究者は何人かのいじめの加害者は「心理的に強く」そして被害者に精神的苦痛を与えている間クラスメートの中で「高い社会的地位」を持ち、社会的に疎外されていると提案しました。ほかの研究者はまた、少数のいじめの加害者は被害者たちを順々にいじめ、「学校に行くことを楽しみ休日は落ち込んでいる」と反論しました。)このことからもわかるように、いじめの加害者は被害者をいじめることを唯一の快楽としていて、また、自分が外から、仲間からどのように見られているかを重要視していると考えてもよいと僕は思います。いじめの加害者がクラスの人気者あるいはクラスで絶対的な権力を持つ人物であったら周りの人はそれに逆らうことができずにいじめに加担したり、その人たちが被害者をいじめているのを見ても手出しできずに無視するということがあります。また、もしいじめの被害者を助けたりしたら自分に被害が及ぶかもしれないということもあります、。そのようなことがいじめを陰湿で鬱々としたものにしている原因だと僕は考えています。いじめをなくすにはまず、だれもがそのようなことにならないようにする学級の環境を改善することが第一であります。また、特にいじめの標的となりやすい内向的な人が外向的な人物やその他の人たちから受け入れる体制を整えるべきだと思います。教師も内向的な人物に対して先入観を持ち、いじめが発生しても気づかなかったりわざと無視するという事が発生してしまうのです。j11も「イジメを解決するには社会としてどんな人へも過ごしやすい居場所を作ることが第一優先的にすべきだ。その求められる社会を作っていくのはわたしたち。自分以外を受け入れる精神を持つこと」が大事であると言っています。内向的への先入観や差別的感情を持ってはいけないと思います。幼稚園のようにみんなが手をつないで仲良くすればそれでいいというわけではありません。お互いの個性を尊重しあいながら、生活し、たがうところがあれば一方的に決めつけるようなことはせずに、相手の話を聞きよく話し合えばよいと思うのです。ほかの人と違う意見だったのが一人いて、そのひとは『「内向的」と「いじめ」の間には関係性はない』と書いています。みんなが内向的といじめにはある程度関係性があると書いている中一人目だっていました。そのひとはいじめの原因が内向的だからではなくもっと深い別のところにあると書いています。確かに、同級生のインタヴューを見ていると大津市の事件で被害者の少年は明るそうなイメージもありました。もしかしたらいじめが起こる原因は内向的という先入的差別ではなくもっと別なところにあるのではないかと思った。だから内向的な人が一概的にいじめられるのではなくそれなりの理由があるのだということも分かった。しかし、いじめと内向的は関係性があるというのは大多数であり、僕もその中の一人です。内向的な人はクラスで孤立しやすいというのが一つの原因です。だが、クラスがもっと開放的になればこの現状は少しでも回復すると思います。




みんなの意見を読んでみると、多くの人が解決策として「自分以外を受け入れること」や、「他人の考えを受け入れること」をあげています。また、ウィキペディアでいじめの原因の統計を見てみると、「生意気なもの、いい子ぶるものに対する反発・反感から」 「自分たちと違う、なじめないなどの違和感から」という原因が全体の約3割を占めています。日本人の性格は臆病だ、まじめで頑固だ、と世界からよく言われています。このイジメの原因や解決策も、その影響なのではないかと思いました。また、イジメのやり方についても日本のイジメには日本人の性質がよくあらわれています。たとえば、日本で多いのは陰口や無視などの、はためにはわからない水面下で行われるものが多いようです。これらはほとんど精神的イジメで、だからイジメ問題解決策の多くが「他人の考えを受け入れる」という趣旨なのでしょう。では、ここで外国の考えをみてみましょう。外国では、“Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. ”(いじめは、物理的または精神的に他人を傷つけることを意図して繰り返された、攻撃的行動の活動です。)(ウィキペディアより)とあるように、暴力的行為が多いようです。つまり、イジメ問題解決のためには「他人を受け入れる」というようなことでは甘いということです。それが日本のイジメ対策が効果をなさない理由なのかもしれません。外国でも、国をあげてイジメ対策をしているようです。しかしそれでもイジメはなくなりません。このことから、本当にイジメをなくすことは不可能なのだと思います。イジメをなくすことよりも、イジメをいち早く気がついて、重症化するまえに止めるということがいま私たちができる最善の策なのではないでしょうか?いじめる側と止める側のいたちごっこではありますが、本当にいじめをなくすとしたら、それは人類全員が天使のような心を持つほかないのではないかと私は思います。しかし、人間には豊かな感情があります。その中には嫉妬心や意地悪な心もたくさんあります。そのような気持ちがあるかぎり、イジメをなくすことはできないのではないかと思うのです。私たちがいまできることは、イジメをなくすことではなく、それを最小限に抑えるということだけなのではないでしょうか。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power. (いじめは、 特に行動が習慣的で力の差の不均衡を伴っているとき、 他の人に作用するために武力や高圧によって明示された攻撃的な行動の形式である。 )この文章を訳すと、 だいたいイジメの定義は日本とあまり変わらないような感じがしました。 しかし、 日本ではあまり考えられない人種差別が存在しているようです。 ほかの生徒が述べていたのだが、 幼少期に受けたこのような生まれつきであって普遍の特徴のことでイジメられてしまった子供が、 大人になって戦争の火種となったりテロリストとして、 世界に復讐をしてしまうという可能性も少なからずあるのではないかと思います。ここまで考えてみると、 日本のイジメの結末とはかなり異なってくると思います。そして、 日本ではなぜテロが起こらないのかとても疑問に思いました。 国境を越えると、 同じひとくくりの「イジメ」とはいってもかなり意味合いが違ってくるものなのだと思いました。 他の生徒の意見を読んで、 やはりイジメはなくしていかなければならないと思いました。 イジメによる「自殺」は、イジメた加害者による「他殺」であるという認識をイジメが起きてしまっている環境でもっと広がれば、 イジメの数は確実に減少していくのではないかと思います。 「イジメ犯罪ではないから」という甘い考えを持って誰かをいじめていたとしても、 誰かをいじめることによって自分は罰せられる可能性がでてくるのだ、という考えを頭の中に少しでもとどめておけるならば、イジメが発生する前に加害者が自分自身で抑制して、イジメを根本からなくしていくことができるのではないのだろうかと思います。去年の東日本大震災では2万人の方が亡なったそうですが、自殺者の数は3万人にも上ったとしりました。毎年これだけ多くの人が自分で命を絶ったと知りショックでした。この自殺した人たち皆が皆イジメを受けて亡くなった子供ではありませんが、大人だってイジメは存在しているわけです。職場での嫌がらせに耐えかねて自殺した人のニュースを数年前に見たのを覚えています。大人の社会にも存在してしまうイジメは、子供の時のイジメの延長線上にあるのではないかとわたしは思います。子供の時にイジメは悪いことだからやめなさい、といわれないまま大人になり、後輩にも同様に接した結果、会社におけるイジメも減らないのだと思います。すべての世代におけるイジメをなくすためにも、子供同士のイジメを撲滅していくことが最優先だと思います。そのために、先生方はイジメを黙認したり知らないふりをするのではなく、発見したらすぐに加害者側の子供に注意を促して、即座にイジメをやめさせて、イジメは悪いことであるという意識を植え付けなくてはならないと思います。日本のウィキペディアをみると、イジメがピックアップされるようになったのはここ数年で最近のことだが、イジメは数十年も前から存在しているのだと知りました。昔から存在しているイジメを、 後世にまでも伝えてはならないとわたしは思います。




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally.(弱い者いじめというのは、繰り返されるもので、攻撃的な行動をもう一人の人に対して、肉体的か精神的に行うものである。)私が読んだこの文は、ウィキペディアのいじめの「定義」の項目にあったものです。ウィキペディアによると、いじめというのは何度も繰り返されて、標的を肉体的に、また精神的に追い込むことだそうです。The word "bully" was first used in the 1530s meaning "sweetheart," applied to either sex, from the Dutch boel "lover, brother," probably diminutive of Middle High German buole "brother," of uncertain origin .(「bully」という言葉が最初に使われたのは1530年代で、「いとしい人(=恋人)」を意味していて、オランダのboel「恋人、兄弟」でも使われた)この文は、同じくウィキペディアに掲載されていた英文です。これはウィキペディアの「語源」の項目に掲載されていました。これらによると、「いじめ」という言葉は始めは存在せず、もともとは「いとおしい人」という意味で人々につかわれていたことがわかりました。それがいつしか「人をいじめる」という言葉に変わってしまい、それにあった行動をとるようになってしまいました。This may have been as a connecting sense between "lover" and "ruffian" as in "protector of a prostitute,".(これは、売春婦の保護者の中で「恋人」と「悪党」を接続するという感覚であったのだろう)同じくウィキペディアから引用してきた文によると、書いてあることの意味はよくわかりませんが私の推測だと、「いとおしい人」から「いじめっ子」という言葉に変わってしまった理由というのは、おそらく昔々の男女の肉体関係にあったのだと思います。私は、このウィキペディアの英文を参照に、今回は肉体的いじめについて着目したいと思います。まず、昔の男女間の肉体関係が今のいじめと直接つながっているわけではないと思いますが、肉体的な痛めつけという面では今も昔も変わらないと思います。生徒の意見全体を読んで、私が興味を持ったまとめのひとつに、「いじめ」と「戦争」あるいは「テロ事件」が関連しているのではないかという意見がありました。この意見を述べていた生徒曰く、「いじめを認めることは戦争に賛成することと同じです。この考えの根底にあるのは「武力で解決する」か「話し合いで解決する」か、ということです。」だそうです。武力というのは、肉体的暴力であり、相手を身体から傷つけるということです。武力あるいは戦争で人を傷つけるということは、いじめにおいて相手の身体を傷つけることと同じです。そこで生まれる疑問は、なぜ人は人を傷つけたがるのでしょうか?ということです。まず、全体の意見より、いじめというのは、外向的な人間と内向的な人間より成り立っていることが改めて確認されました。ここで、外向的な人間が理不尽に内向的な人間を侮辱してしまい、なるべく上の地位に立って相手を見下そうとして、いじめが起こるということが分かります。ある生徒の意見に、「いじめを行う時に、いじめる側の人間が、相手をいじめることで「自分の欲を解消することができるかもしれない。」と考えている人がいるかもしれない。」というようなものがありました。私は、これまでいじめ問題について授業などで考える機会はありましたが、人間の欲求に着目したことはありませんでした。だから、全体の意見を読み、人間の欲といじめとの関係について考えることができました。中には、「社会において、外向的な人が得意な仕事もあれば、内向的な人が得意な仕事もあります。社会にはそれらの仕事に対して同じだけ需要があります。だからどちらのタイプの人間もいなくてはならないのです。決して内向的な人がいけないということはありません。そのような人も必要なのです。内向的だからと言っていじめられる、なんてそんな根拠どこにもありません。いじめはあってはならないですが、もしいじめがあったとして、理由は「内向的だから」ではなくもっと他にあるはずです。したがって、私は「内向的」と「いじめ」の間には関係性はないと思います。」といった意見もありました。私は今まで、わりといじめというのは外向的や内向的といった人間の性格というのが関係していると思っていましたが、この生徒の意見を読んでいると、もしかしたら関係ないのかもしれないと考えるようにもなりました。結論としては、いじめ問題に、外向的なのか内向的なのかという人間の性格にあたる部分が直接関係しているかは分かりません。しかし、「いじめ」という言葉の裏には、肉体的であったり精神的である相手を傷つける行為というのは存在していて、それは昔からどの国でも変わることがないということです。では、いつになったらいじめの問題は解決することができるのでしょうか?これからの子供たちが、友達と楽しく過ごしていけるようにも、私たちの世代から、徐々にいじめ問題について解決できるようにしなければいけないことには変わりありません。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power. (いじめは、特に振る舞いが習慣的で、力の高低差があった時、弱い者に対して武力行使か高圧によって明示された攻撃的な振る舞いのことです。)内向的であるか外向的であるかはいじめ問題において関係ないという意見が多かった。内向的な人が必ずしもいじめられるというわけでもなく、外向的な人が必ずしもいじめているわけではない。確かにその通りだが、「まったく無関係」だとは思わない。今まで生きてきて出会った人たちの中ではいじめている人もいじられている人もいた。そして思うことはいじめられていた人は人付き合いが苦手であるか、何かが他の人よりも劣っていることが多いということだ。人間はだれかの上に立ちたい、誰かより優れていたい、という気持ちを持っている。それがスポーツや勉強においてあの人を越えたい!などプラスの気持ちになればいいが、あの人よりは自分は勝ってるからとか、あの人なら言い返してこないだろう、とかいう気持ちになってしまうといじめが始まる原因にもなるだろう。その気持ちの矛先が外向的な人よりも内向的な人に向かうことが圧倒的に多いのではないだろうか。だとしたら、いじめを受けて「やめて」と中々言い出せないことが多く、いじめが発展してしまうのも当然といえば当然な気がする。自分の気持ちを素直に言い出せないことによっていじめが始まるのではなく、いじめが発展するのだ。標的にされることも多いが、相談する友達がいなかったり、反抗できなかったりという性格がいじめを発展させる原因になるのではないだろうか。これが外向的な人と内向的な人の差だと思う。人間は十人十色で色んな人がいていいと思う。内気だから、静かだから、もじもじしてるから、そんなことは全く関係なく、無理に改善しようとしなくても良い。世の中にはサイコパスと呼ばれる生まれつき良心が圧倒的に欠如している人間だっているし、優しい人間ばかりではない。「優しい」だけが人間的に優れているわけでもない。 人とどう付き合っていくのかが問題なのだと思う。要は、環境と性格が関わって起こるのがいじめであって、自分自身をうまくコントロールすることが解決策だと思う。





いじめ問題の意見や、スーザンさんの動画を見た感想で多かったのは、「内向的な人=暗い人というわけではない」ということ、内向的な人と外向的な人が、意見をうまく尊重しあうことが大切だ、ということが最も多く書かれていました。とくに、「内向的な子供はあまり意見を言いたがらないのだと思う。「いじめられているのが恥ずかしいから誰にも言わない」「誰も相談相手になってくれない」など先生や友達だけでなく親にも言えずに一人ですべて抱え込んでしまう子供が増えてきているからこの問題も全然消えないのだと思う。」という文章を読んで、私は今、いじめという問題は、昔のようにいじめをした側、いじめをされた側、先生と親、という少人数で解決できることではなく、社会全体で解決しなければいけない問題なのだと感じました。もういじめはただの子供の中での問題、といった小さな問題ではなく、社会全体がかかわる大きな問題になってしまったんだな、と感じました。A 2012 paper from the Berkman Center, “An Overview of State Anti-Bullying Legislation and Other Related Laws,” notes that, as of January 2012, 48 U.S. states had anti-bullying laws, though there is wide variation in their strength and focus.(2012年のバークマン・キャンサーの研究論文では、いじめを反対する法律制定の情勢や他の関係のある法律は2012年1月現在で48のアメリカの州がいじめに反対する法律を定めている。それにも関わらず、強みや焦点に広範な変動がある。)アメリカではいじめを、法律を作って、いじめ=「犯罪」として数を減らそうとしている、ということがわかります。アメリカはいじめをなくそうと、法律や罰を設けているのに対し、日本は何も処置をとっていません。私は、本当にいじめをなくすためには、アメリカのように法律をつくるべきだと思います。いじめは、れっきとした悪いことだし、やっぱり罰をつけるおべきだと思います。罰を科すことによって過激ないじめを阻止することができて、もしかしたら自殺者の人数をいっきに減らすことが出来るかもしれない、と考えたのですが、それでもいじめの数がなかなか減らすことができない、とウィキペディアには書いています。「いじめはいじめられる側といじめる側の考え方の違いによって起きているのではないか、と考えます。」ある生徒の文章を抜粋したものですが、いじめは、やっぱり当人たちの心の問題だと思うので、法律を制定したり、罰を科すだけではなく小学校や中学校でちゃんとした道徳の授業をしたり、先生がただ適当にいじめをしている人をいじめられている人が報告したことがわかってしまうように下手に叱ったり、自分で解決しろ、といじめられている人を放置するのではなく、ちゃんといじめをした生徒に適切に叱ったり、生徒の悩みをちゃんと聞いてあげたりすることで、いじめをきちんと防ぐことが出来ると思います。現にチャイルド・ラインというサービスがありますが、いじめられている子の中には、「誰かに話すなんてなんだか、恥ずかしい」とか「どうせ言ったって何も変わらない」と思っている子もいると思います。私は、このチャイルド・ラインというサービスをただ悩みを聞いてあげるだけでなく、電話番号や特殊な仕組みで、いじめられている子の学校を把握し、その学校で先生たちが適切な処置をとることができたらいいと思います。それと、いじめに対する法律を制定してうまく利用することが出来れば、だんだんいじめを減らすことができると思います。「イジメを解決するには社会としてどんな人へも過ごしやすい居場所を作ることが第一優先的にすべきだ。」それを出来るだけ早く政府や教育委員会が実現すれば、社会全体がもっと明るくなると思います。





ウィキペディアや皆さんの感想や意見を見て、解決策が微妙に違っていたのがとても面白かった。中にはスーザン何とかさんの意見に賛成していない人がいて、その人の文を読んでみると「あ~そう言う考え方もあるんだなー。」と思った。その人の考えは、素晴らしい才能を持っている人でも内向的のままではその力を発揮できない、だから外向的な人が手助けをしないといけないということだ。私もそう思った。この文を書いた人は頭が良いと思った。次にオバマさんのお言葉を引用している方の文もいいな~と思った。パソコンが壊れていてスーザン何とかさんのスピーチを聞けなかったのはとても残念だと思いました。が、文は素晴らしかったと思った。「あなたがこの世界をかえるのです。」私もそう思った。誰かが動きだすのを待つのではなく、自分が最初に動きださなければ何も変わらないと思う。ウィキペディアではいじめは三つの種類があると書いてありました。Bullying consists of three basic types of abuse ? emotional, verbal, and physical(いじめ虐待、感情的な言語、および物理的ないじめ)、Bullying consists of three basic types of abuse ? emotional, verbal, and physical(そしていじめのターゲットになりやすいのは人種、宗教、性別、セクシュアリティ、あるいは能力の理由で指示されることがある。)日本で多いのは見た目や性格なのではないのでしょうか?私が小学生の高学年の時、クラスでいじめがありました。いじめられていたその人は少し大人しい女の子で所謂内向的な子でした。その子は転入生でなかなかクラスに打ち解けることができませんでした。その内休み時間も一人でいることが多くなり、周りに話す人がいなくなっていました。決定的にいじめが始まったのはクラスで席替えをした時です。その子の隣になった男子は机を離し、きもい、マジ最悪、早く席替えしたい、などみんなに聞こえるように言っていました。そんなことを言われたらあなたはどう思いますか?私は嫌です。ましてや相談できる人も少ないのにもっとクラスの人と打ち解けることができなくなってしまいます。いじめも段々エスカレートしていき、靴を隠したり、その子の物が無くなったりしていきました。そんななか私はただ見ているだけでした。もしその子を庇ったら自分がいじめられるのではないか?と思っていました。ですが私の担任の教師はその子の異変に気づきすぐに学級会が開かれ、いじめの内容など全てが明かされました。いじめていた奴らは先生に焼きを入れられその子に謝罪をしていました。その子は不登校気味になっていましたが、しっかり学校に来るようになりました。それからクラスの人達とも仲良くなりいじめのないクラスになりました。少々長くなりましたが私がここで言いたいのはいじめをなくす、解決するのは生徒だけではなく教師にも責任があり、生徒をしっかり観察していじめを起こさない環境を作ることが要求されることです。教師がいじめに参加したりすることは論外でそんなのは教師ではなくただのゴミくず以下の存在です。小学生ならまだしも、中学、高校生になってくると心が成長する分いじめを解決するのは困難になっていくことでしょう。だから教師も大切な存在なのです。最後に私が思ういじめを解決する方法は、自分がいじめられる立場になってみることを想像してみること、他人を思いやり観察すること、生徒が教師と話やすい環境を作ることその三つをすればいじめはなくなると思います。





いじめは絶対にあってはいけないし、解決策がないなどといって諦めてはいけないと思います。時事英語の授業で今まで何度もいじめ問題をとりあげ、自分の意見を書いてきたのも、世界的なニュースになっているという事実だけではないと思います。世界情勢についていかなければならないのももちろんそうですが、いじめは本当になくさなければいけません。ですが私は今確信しました。いじめはなくならないと思います。なぜなら加藤先生はいじめ対策について私たちに考えさせているのにも関わらず、私をたたきました。(結構痛かったのです。)話を聞いていなかった私が悪いというのもありますが、暴力をふるうというのはいかがなものでしょうかlol。というのは冗談ですが、いじめをなくすというのは本当に難しいことだと思います。現在、少子高齢社会である日本において、これからの日本を担っていく子供の命はとても重要です。子供の自殺は日本にとって巨大な損失となるわけです。それを防ぐためにも解決策を考えなければなりません。大人が考えても答えがでないような大きな問題であろうとも、だからこそ同じ世代である私たちが考えるのです。全ての子どもは安全に生活し、教育を受けることが様々な法律によって保証されていますが、いじめは保証された子どもの権利を大いに侵害しています。子どもの権利を守るためには、いじめ被害からは絶対に守られなけばなりません。いじめ被害の現状が刑法上の罪に当たる場合は、被害届けを出す事も必要で、悪いのはいじめ加害者です。明らかに違法な行為があったときには被害者が泣き寝入りする必要はないのです。被害者や加害者に対する法律だけではなく学校側が守らなければならないというものもあります。いじめの現場が学校であった場合、学校側はこのいじめを予見・防止し、また、対策を講じる義務があるそうです。いじめの予見は困難な場合もありますが、本人・保護者等からいじめの実態が親告されていた後にこれが為されない場合は、地方公務員法服務違反にもなりえます。ですが本当にそうなっているのでしょうか。損害賠償を請求するなどよくニュースで耳にしますが、学校側が認めない場合もあると思います。私には名前だけの法律とはなっている気がします。それでは意味がありません。こういった規定は日本だけでなく、アメリカをはじめとする世界の国々にもあります。しっかりとした決まりがあるのだからうまく機能させるべきです。統計をとり資料としてまとめるだけではなく、その結果を踏まえたうえで、一人ひとりが今後どういった行動をするかが重要だと思います。スーザンケインさんのプレゼンテーションでは、それぞれが抱いていた内向的な人のイメージが変わったと書いている人が多くいました。introverted leaders often deliver better outcomes than extroverts do, because when they are managing proactive employees, they're much more likely to let those employees run with their ideas, whereas an extrovert can, quite unwittingly, get so excited about things that they're putting their own stamp on things, and other people's ideas might not as easily then bubble up to the surface(内向的なリーダーは外向的なリーダーよりも 良い結果を生むことが多いというのです 内向的なリーダーは 積極的なメンバーが アイデアを出して活躍できるようにさせる一方 外向的なリーダーは 気づかぬうちに 何でも自分で仕切ることに 夢中になって 他の人のアイデアがなかなか 活かされないようにしてしまうのです)というのと、And what I'm saying that culturally we need a much better balance.(私が言いたいのは社会として両者をもっとうまくバランスをとる必要があるというこです。)We need more of a yin and yang between these two types.(陰と陽のように両方必要なのです。)というのを引用している人も多く、もちろん全部一緒なわけではないけれど感じたことはほとんど一緒なのだと思いました。





今回この英語版のウィキペディアを見て考えたことは自分が考えている以上にいじめの種類って多いんだなということです。学校内でのいじめは去るごとながら職場内でのいじめもあるだけでなく、国同士の間にも近いことが起こりえてその解決を第一次世界大戦や第二次世界大戦を理由にしてごまかしているということが国同士でも多々あるそうだ。そして日本では珍しいのだが世界では人種や信仰の違いによるいじめというのもあるようだ。これもインターナショナルな世界になった代償といえるかもしれない。もともとは黒人への差別がかつて奴隷として使用していたヨーロッパ人の中に内在していたくらいである。その後奴隷の取引は禁止されたが今でもその名残は残っている。ここで考えてみると、ではそもそも奴隷というものさえ考えられなければ今のこのような差別や人種によるいじめはないのではないだろうか。このような例はここ日本にもありイジメとは直結しないがかつての日本にも男尊女卑という考え方があった。今現在そのような考え方はなくなり男女共同参画社会基本法や雇用機会均等法によって女性をサポートしたり内閣にも必ず女性を少なくとも一人は入れて国が率先してアピールしてはいるがやはり職場では圧倒的に男性のほうが女性よりも待遇がいい場合が多い。このように過去の風習や事例を名残として引き継いでしまっているイジメがあるということを考えてみたことはまったくなかった。この場合の解決法や策は簡単には見つからないだろうと思う。しかし行動しないことには何も始まらないのでまずは国が率先して改善を目指したり国際社会全体でその解決に尽力していくのがこのような風習的ないじめの場合は最善策ではないのだろうかと個人的には思う。日本でも起こりえるようなイジメというものに対してアメリカでは積極的に対策を講じていて50の州のうち45州でイジメの禁止という法律を出している。これは日本には見られない努力である。しかしながらやはりアメリカでもいじめは多発していて、大きな問題となっている。いじめにはたくさんの種類がありウィキぺディアではThis includes school church, family, the workplace, home, and neighborhoods. (これは学校、教会、家族、作業場所、家庭および近隣関係を含んでいます)というように紹介されている)ここでもその例をあげてみると同性愛者へのいじめや刑務所や軍隊ですらいじめが起きています。このようないろいろな世界でいじめというものは起きていてその解決策と言うのはその事例によって異なってくるので一概には断定できないが根底は全てお互いの気持ちを尊重しあい分かりあいお互い手を取り合い解決するべきだと思っています。このようないじめのターゲットは内気な人などが多い。このような場合周りの存在というのがとても大切であり解決にはそれらの協力が必要不可欠ともいえる。しかしながらその周りの人も自分が次のターゲットになりたくないと見て見ぬふりををしてしまいがちであるが、その結果もし被害者が重傷を負ったり死んでしまったりしてしまっては被害者だけでなく周りの傍観者や加害者の誰にとってもいい事ではなくクラス内部の雰囲気が悪くなってしまうだけなので誰かが一歩を踏み出して行動すべきである。たとえ国が違えどこのようないじめの解決策というのは変わりないものだと思っています。いじめの考え方その原因というのは国ごとで違うのかもしれないけれども、命の尊さその重さというのはたとえどこの国のどんな人種の人や性格の人でも変わりがないということを全世界の人が理解し分かりあえれば世界からいじめを撲滅していけるのではないかと思います。結局のところ人の命の重みにいち早く加害者の人は気がついて気にかけていくべきではないのだろうかと思いました。




Bullying consists of three basic types of abuse – emotional, verbal, and physical. It typically involves subtle methods of coercion such as intimidation. Bullying can be defined in many different ways. The UK currently has no legal definition of bullying,[4] while some U.S. states have laws against it.(いじめは情緒的・言語的・物理的の三つの基本的なタイプの乱用によって構成されています。それは、典型的には、脅迫のような強制的なずるい方法で引き起こしています。いじめはたくさんのさまざまな方法で明らかにすることができます。イギリスでは、現在、いじめの法的な定義はありません。その一方で、アメリカではいじめに対する法律がある州もあります。)他の人の意見を読んでみて思ったことは、内向的な人がいじめられる原因には、外向的な人から見て自分たちとは違った存在、いわば異色の存在に見えて、それが気に食わなかったり、自分より弱い存在、つまり弱者に見えて、それらが原因でいじめの標的となることが分かった。内向的な人には確かに一変、外向的な人に比べ、陰湿で暗い雰囲気が醸し出されているように見えるが、内向的な人たちのみんなが、それがその人たちの本当の姿とは限らないし、むしろ自分たちも外向的な人の仲間になりたいとか、内向的な性格を変えたいと思っている人もいるだろう。しかし、現状では、世間一般の目や、内向的な性格ということもあり、自分の力ではどうしようもないことが多い。だから、内向的な人とつるんだり、性格がもっと暗くなったり、世間で非難されているニートやひきこもりになってしまうのだ。それを知らずと外向的な人はいじめの標的にするのだ。では、いじめ問題を解決するに至って、どうすればよいのだろうか?内向的な人が性格を変えることが出来ないとなると、それまでだが、そうであろうがなかろうが、周りの人に相談するということも含めて、その内向的な性格を直す努力をするべきである。あと、傍観者が自分が、いじめている人を注意出来なくても、周りに相談などするべきである。あと、周りの人がいじめられている人の心身になって協力してあげるべきである。いじめ問題を解決するに当たって大事なことは、周りの人が変わるというのよりも、なにより自分が変わることである。




Bullying can occur in any context in which human beings interact with each other.(いじめは人間が互いに交流し合うどんな状況でも起こりうる。)いじめは多くの場所に存在しています。では、いじめをなくすにはどうしたらよいでしょうか。いじめがあるということは、他人の気持ちを考えずに生きている人が多いということです。ひとりひとりが「いじめは悪いこと」という自覚があれば、いじめはなくなります。しかし、残念ながらいじめはあります。いじめてもいないし、いじめられてもいないという人は「自分には関係ない」なんて思わずに、いじめられて困っている人を助けるべきです。自分ひとりで助けるのが不安だったり、自信がないというときは周りにいる友達と一緒に助けてあげればいいと思います。そして、いじめている人にも「いじめなんてやめようよ。」と一言でいいから言ってあげるべきです。次にいじめられる人ができずにすむからです。また、いじめている人は何か嫌なことがあって、いじめをしているかもしれません。周りの人がいじめられている人を助けることは、いじめている人を助けることにも繋がると思います。




まず、スーザン・ケインさんのTED動画を見たときの感想にこのような意見が多くあった。And what I'm saying that culturally we need a much better balance.(私が言いたいのは社会として両者をもっとうまくバランスをとる必要があるというこです。)We need more of a yin and yang between these two types.(陰と陽のように両方必要なのです。)つまり内向的な人間と外向的な人間との一定のバランスを保つことがイジメを減らしていく第一歩だということだ。自分は外向的でも内向的でもなく、逆にどちらでもあると思う。コミュニケーション能力は高くないし、かといって外向的な人と仲が良くない訳ではない。自分は今まで人見知りながら難なく誰とでも会話をすることが出来る人間だったため、なぜ「いじめ」が起こるのか理解出来なかった。けれどよく考えると外向的な人間がもつ、内向的な人間に対しての偏見がいじめにつながっているのかもしれない。確かに外向的な人からすれば内向的な人は地味で、変なやつが多いかもしれない。けれど話してみると外向的なやつに負けないくらい面白い人もいるし何かに夢中になっていてそのことになるとものすごく食いついてくるやつもいる。人は関わってみなければわからない事がたくさんある。もしかしたらどうしても受け入れられない変なことをする人もいるかもしれないけれど、それはそれで個性なんだと認めてあげることが大事で、そこで嫌がらせに発展させてはいけないのだ。Bullying is detrimental to students’ well-being and development.(いじめは生徒の幸福と発達に悪影響を及ぼす)Wikiの一番はじめの写真の下に書かれている文章なのだが、イジメは絶対にやってはいけないことなのだ。内向的な人も自分が生きていく上での楽しみや生きがいを持ちながら、いや、もしかしたら探しながら生きているのだ。そのことも知らず、人のことをバカにしていじめるのは人の人生そのものの在り方を否定する最低な行為なのだ。だから人間関係においてはバランスが重要になってくるのだ。




いじめをなくすにはまずいじめられるような人を作らないことが大切だ。もしそのようなことができれば確実にいじめは大幅に減るだろう。いじめられる人の原因として考えられるのは性格が暗かったり、人と接するのが苦手な人だ。なぜそう考えたかというとそのような人はその性格のせいでどうしても友達ができなかったり一人ぼっちで、孤独になる。そのような人がいじめの対象にされやすいのなら誰でもいいから話しかけてあげ、手を引いてあげればいいと思う。こんな簡単なことをするだけでいじめは少なくなり、学生のいじめによる自殺は減るのに、どうしてみんなそれができないのか。それはおそらくいじめられているもしくはクラスで浮いている人と関わると自分もいじめられてしまうと思っているからではないだろうか。でもそのようなことを考えている人はきっとたくさんいるはず。なぜならクラス内で浮いてる人は絶対にわかるし、暗い人だって暗いということで目立っている。だからそんな人を助けたいと思う人は一人では無理なら3人、4人で話しかけてあげれば良い。そうすれば「意外と話しやすいじゃん。」、「もっと前から話せばよかった。」など新たな発見があるかもしれない。そうすることによっていじめもなくなりよりよい学校生活になるに違いない。みんなもクラスにいじめがあるのとないのとではいじめがないほうが良いにきまってる。なので誰かが勇気を持っていじめられている人に手を差し伸べることでいじめがなくなり自殺がなくなりクラス皆が仲良くなりもっと楽しい学校生活になり、とにかく良い事しか生まれないのだ。だから今の学生は孤独にさせない勇気をもってほしい。しかし、本当に内向的な人は無理やり自分がしたくない事を強制される事に苦痛を感じるかもしれない。もしかしたら「自分は他の事をしたいのに…」などと思っているかもしれない。そんなことでは声をかけた側は自分は助けてあげようとしたのに内向的な人にとっては全くの無駄となり逆に嫌な思いをすることになる。そうなってしまうと空回りしてしまって逆効果を及ぼすかもしれない。なのでただ声をかけて一緒に過ごし同じ事を共用させるというのではなく声をかけてあげる人は相手がどのようにしたいかなど意見をしっかり聞き両者が無理なく楽しめる関係を作っていくのがベスト。Bystanders may participate or watch, sometimes out of fear of becoming the next victim.( 時々、次の犠牲者になる心配から、傍観者は参加するか、見ているかもしれない。 )イジメに加害者として参加するよう促された場合、周りに流されるがままに、自分の意志もないままイジメに加わってしまう可能性が少なからずある。また、それを見てみぬふりをして過ごしている人も加害者と言えるのではないだろうか。見てみぬふりをするということは、加害者のしていることが悪いことだと考えず、被害者の気持ちを考えず、被害者の助けてほしいという気持ちを堂々と裏切る。これは立派な加害者だ。イジメをされる側にも問題はあるという人もいるが、わたしはそれは違うと思う。内向的な人も外向的な人も同じ人間で、性格が違うだけ。イジメの始まりは、加害者側のストレスを八つ当たりのように他人をからかう事だとおもうので、その加害者側の人のからかいにも、自分が同じからかいをされた場合嫌だと思うことはしないなど、節度をもった言動をしたらイジメの原因は減ると思う。また、からかわれている側の人も、イジメまでは達していないにしても自分が嫌だと感じた時点でその加害者側の人に言うことが大切だと思う。内向的な人は、口にはだして言ってこないだけであって、ちゃんと自分の意見を持っている。その意見を聞くこともなく潰してしまうなんて、なんてもったいない。その意見のなかに成功する鍵があふれていることにみんなはやく気づいてほしい。ちゃんと意見を聞いてあげてほしい。そうすればもっと世界全体が明るくなるはずだ。内向的なひとの意見は世界にもっと評価され賞讃されるべきだといっていたスーザンさんの意見の通りだと私も思う。内向的な性格の人は、おそらくこの自分の気持ちを伝えるのが苦手なのだと思うが、勇気を持って相手に伝える事によって相手も理解してくれるだろう。自分の性格を乗り越えて一歩踏み出せたらイジメは減り、それによる自殺者の数も減ってくると思う。外向的な人が内向的な人の意見や秘めているパワーを認め、お互いによく理解し合うことが大切だ。周りに流されるまま人を傷つけたりしていないだろうか?自分が加害者になっていることに気づいていない人はいないだろうか?自分がしていることによってどれだけ相手が傷ついているかわかってない人はいないだろうか?そんなひとは近くにいないだろうか?それを見てみぬふりしていないだろうか?人の気持ちを考えるというのは人間としてかなり難しいことであるが、自分(加害者)が相手と同じ位置にたった時、はじめてその愚かさや残酷さ、被害者の辛さ、いじめの本当の怖さに気づき、どうしようもない悲しみや怒り、酷い身心の痛みや苦しみ、死にたいという思いへと辿り着くだろう。加害者が被害者の気持ちをやっと知った時にはきっともう手遅れだ。そうなる前に、自分の今していることをもう一度しっかり考え改め直していくことが必要だ。そんなことが一人一人できるようになった時、きっと今とは違う世界になっているんじゃないかと、私は思う。




Bullying can exist between social groups, social classes, and even between countries.(いじめは社会的な集団、クラス、そして国の間にでさえも存在します。) In fact, on an international scale, perceived or real imbalances of power between nations, in both economic systems and in treaty systems, are often cited as some of the primary causes of both World War I and World War II.(実際、世界規模で、国同士のリアルなパワーのアンバランスを把握しているし、経済のシステムや条約の仕組みは、たびたび第一次世界大戦と第二次世界大戦の優先的な原因を引き合いに出しています。)わたしがこの間述べた、「いじめと戦争には関係がある」ということに現実味が出てきました。結論から言うと、世界で戦争が起こっている時点で、本当にいじめを解決する、または末梢することは難しいと思います。だって大人がしてるんですもん、暴力なんかとは比にならない手段と次元で。その大人たちにいじめをするなと言われましても、矛盾してるから本当の意味では受け入れ難いと思います。もちろん、大人にもさまざまな大人がいることはわかっています。ただ、世界中の人たちがその戦争をなくそうと取り組んでいるかというと、それは違います。だからもっと戦争をなくすために人々が考えるべきだし、実行するべきです。後々、だいぶ時間がかかるかもしれませんが、そのことがいじめをなくすことに繋がると思います。「戦争をなくそう!」って言ってる人がいじめをする気には、さすがにならないと思います。さて、「いじめ」についての英語と日本語でのWikipediaの比較ですが、英語の方はわりかし大規模・小規模どちらのことも述べているように思われます。それに対して日本語の方は、かなり小規模で、自らが属する社会的集団の中で起こるものだとしています。そしてアメリカやイギリスの場合では今のところいじめに対する法律はなく、日本では場合によっては罪に問われるそうです。私は、先ほども述べたように、「いじめ」は仲間外れや無視のような小規模なものから国家間での戦争やテロなどの大規模なものまで、「相手に苦痛を与える」さまざまなことがあてはまると思っています。なので、私の意見は英語のWikipediaの方に当てはまると思います。次に、みんなの意見を読んでの分析とまとめ。結論から言うと、私は内向的な人と外向的な人、どちらの努力も必要だと思います。みんなの意見を読んでいると、「内向的な人は今のままでよくて、これからは外向的な人が内向的な人に積極的に働きかけていくべきだ」という風に述べていると感じてしまいました。内向的な人だから自分からコミュニケーションをとらなくていいわけではないと思います。お互い歩み寄ることが必要です。さらに言えば、内向的でも社会的責任というか、社会の中で役に立つことをきちんとできればそれでいいのです。なんだか上からでおこがましいですが、私はそう思っています。そしてこの間も述べたように、大部分の人は外向的な部分と内向的な部分どちらも持ち合わせているのです。私もそうです。アメリカなど向こうの人は物事を二分化して考えるのが好きですが、それは少し真実性に欠ける気がします。少し話がそれてしまいましたが、結局わたしが言いたいことは、お互い歩み寄ろうということです。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(いじめは攻撃的な行動パターンが武力や支配力の使用によって他の人に影響を与えていることが明らかになることだ。具体的に、その行動が習慣で具体的権力の不均衡を引き起こす時だ。)Bullying consists of three basic types of abuse ? emotional, verbal, and physical.(いじめは感情、口頭、身体的という嫌がらせの3つのタイプの基礎から成り立っている。)いじめを解決するには、いじめられている子の両親や先生がその子の異変に気づくのが1番だという意見が多い。確かに、暴力的ないじめの場合なら痣や傷跡などで。精神的ないじめの場合でも口数や食欲などの様子でわかるものなのかもしれない。年間のいじめによって自殺した子の人数はあまり知られていないがその人数は大規模といわれた東日本大震災での死者の2万人を超えている。こんなにも多くの人が 亡くなっているのにその数を知らないというのは少し日本人として恥ずかしいことだった。内向的な人には「地味で積極性がない」という世間からの偏見がある。それをなくしていくには、コミュニケーション能力に長けているような、外向的な人を求める社会から変えていったり、内向的な人の良いところを世間にわかってもらえるように伝えることが必要だ。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(イジメは強制的に相手に影響を及ぼす、はっきりとした暴力行為で、特に習慣的な行為や力の不均衡が関わっている時のことです。)ウィキペディアを読んで、日本と外国のイジメの定義の仕方の違いがわかりました。外国でのイジメは暴力によるものばかりなので、イジメというと暴力的な行為が行われていることを指すようです。しかし日本のイジメの多くは、暴力的な行為によるものではなく、言葉を使ったり無視をしたりと、精神的に痛めつける行為によるものです。おそらく外国には日本のような陰湿なイジメはあまり存在していないのでしょう。今の日本ではいじめを原因に自殺をしてしまう人が多くいます。単に物理的なイジメだけでは自殺はしないでしょう。自殺につながる一番大きな要因は精神的なイジメにあるといえます。そこをもっと深く考えて行くべきだとおもいます。



It can include verbal harassment or threat, physical assault or coercion and may be directed repeatedly towards particular victims, perhaps on grounds of race, religion, gender, sexuality, or ability.(それは、言葉の嫌がらせまたは脅威を含むことができ、おそらく人種、宗教、性的関心、能力が理由で、身体的な攻撃や強制、そして特定の犠牲者に繰り返し行われるかも知れない。)The UK currently has no legal definition of bullying, while some U.S. states have laws against it.(いくつかの米州にはイジメに対する法律があるが、現在イギリスはイジメの法的定義を持ちません)まず、一つ目の文を読み、言葉でのイジメ、身体的な暴力、同じ人に何度も行うなど、外国でもイジメの内容や被害者は日本とあまり変わらないのかなと思いました。私のイメージでは外国のイジメは日本よりもひどく悪質だと思っていましたが、最近の日本のイジメ問題に関するニュースや新聞記事などを見ていると、日本のイジメ問題の方が深刻なのではないかと思います。意見全体にもあるように、内向的な人の多い日本人は、イジメのターゲットになってしまう人も多い気もします。二つ目の文では、イギリスにはイジメの法的定義が無いと書かれていて、イジメが起こった場合にはどう対処しているのか気になりました。また、私は現在日本のイジメの法的定義はどんなものなのかを知りません。意見全体に、「もっと個人が、特に学生である私たちが、いじめ問題についてもっと敏感になるべきだと思った。」という一文がありました。私たちは、イジメ問題についてもっと深く知るべきなのではないでしょうか。日本だけでなく、他の国のイジメに対する取り組みや考え方を参考にするのも効果的だと思います。イジメをなくすことはとても難しいことですが、一人ひとりがイジメについてもっと知り、解決していくことができるとイジメは徐々に減っていくはずです。




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(いじめは、肉体的にあるいは精神的にもう一人の人を傷つけると意図した繰り返された攻撃的な振る舞いの活動です。いじめは、もう一人の人に対する支配力を獲得するある方法で振る舞う個人が特徴です)High-level forms of violence such as assault and murder usually receive most media attention, but lower-level forms of violence such as bullying have only in recent years started to be addressed by researchers, parents and guardians, and authority figures.(やばい暴力事件は通常ほとんどのメディアの注目をされます。しかし、いじめのような低いレベルの事件は研究者や親くらいしか訴えない) It is only in recent years that bullying has been recognised and recorded as a separate and distinct offence, but there have been well documented cases that have been recorded over the centuries.(いじめが犯罪として認められたのは最近になってからだ。しかし、今までも十分立証された件はありました) ここまでが自己中辞典ウィキペディアによる文章です。ウィキペディアに書かれる記事の80%は憶測であるとアンサイクロペディアで目にしました。それらしいことを書いていますが信用できたものじゃないですね。今回はいじめ問題解決のための分析まとめということなのでもちろん解決策なんてないのはわかってるけどがんばって言えることだけ言っておきたいと思います。まず分析していた人の中に素晴らしく的を得ていた人がいらっしゃったので少し引用します「僕は、相手の嫌がることはしないという言葉を幼稚園などでよく耳にしました。いじめをなくすということはこれを徹底することだと思います。」これです。分かりますか?おふざけではなくいじめ問題における真理がこの文章に詰まっていますよね。昔から今までいじめは続いています。それは人間がこんな幼稚園児レベルのルールすら守れない下等な種族だからなのです。いじめは個人的な問題としてとらわれがちですが、これは種に関する共有的な問題なのです。動物が進化するには永い年月が必要です。それが30年40年、ましてや今後5、6年後になくすことができるわけないでしょう。しかし!それでもどうしてもいじめられたくないのにいじめられている人、そういう人はもうこれ。金。金にものを言わせましょう。これがあればまず何とかなります。権力と金がない人にはご愁傷さまとしか言いようがない。それこそ宗教にでも入って来世に祈願するしかないのではないだろうか。あといじめている人はやめましょう!




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(いじめは、肉体的にあるいは精神的にもう一人の人を傷つけると意図した繰り返された攻撃的な振る舞いのことです。いじめは、もう一人の人に対する支配力を獲得するある方法で振る舞うのが特徴です。)いじめについてどのような考えを持っているのかは人それぞれであるとは思うが、いじめというとどのようなことを想像するのか。すべてが暴力などで収まるようなことだけがいじめではないということは確かである。暴力だけでなく、コミュニケーションなどもかかわってくる。最近のいじめは両方過激になってきている。しかし、どちらにしても第三者が気づくことに違いはない。助けてあげることができるのならすぐに助けてあげられればひどくなる前に抑えることができると思う。全体の分析と意見について、今の現状がいじめが増えていることに対して危機感を感じている人がほとんどで、今回の動画を見てその意見に賛成という人がほとんどというのが瞬時に分かるほどだった。だれもの経験の中で内向的な人がいじめにあう確率が高い。どうしてもそのような性格からいじめにあってしまうということがある。そこでの解決策として自分の意見と同じだった人がいた。内向的な人にも外向的な人にもそれぞれ長所や短所があるが、それはひとによってとらえ方が違うと思う。外向的な人が周りの人たちを仕切ろうとしていたら、ある人にとっては助かると思うかもしれないが、ある人は鬱陶しいと感じることがあるかもしれない。内向的な人が学校祭の準備などで頼まれた作業を黙々とやっているとしたら、ある人はなんでも仕事をやってくれて助かると感じるが、ある人は自分から仕事を探せばいいのにと思うかもしれない。相性もあるので人によって相手の長所や短所の感じ方はあると思う。だから外向的な人が内向的な人の長所に気が付けずに内向的な人を傷つけてしまい、それがイジメに発展してしまうケースが多いのではないかと感じてしまう。もしイジメが外向的な人同士でおころうとしたら、大人数対少人数でなければそれはケンカ程度ですむかもしれない。お互いに意見を言い合える人達同士だから。しかし、内向的な人は自分の気持ちを聞いてもらう間もなく傷つけられてしまう。そしてイジメから彼らを助けようとしている人も内向的な人物の場合、助けたいと思っている側も外向的な人に、やめろとは言えず、周りの大人にも言えなくなるのではないだろうか。この意見は大賛成で、必ず人それぞれに長所があると思っていて、それを生かせる場があると、仲間外れになるということはなくなると思った。今後いじめというものがなくなっていくのかどうかはだれにもわからないが、いじめという世界の大問題をどんどん目の当たりにして、世界が興味関心を持つようになってくれると多少たりとも減っていくに違いないと思った。相手のことを考えて行動することが大事だと思った。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(いじめは武力行使や誰かへの強制的な感情によって証明される攻撃的な行動や言動です。具体的にいえば、常習犯や権力の不均衡です。)このサイトにあった文章を見て、権力の不均衡が生まれている時点でおかしいと思いました。権利はみんなが平等に持っているもので、権利の有無を人に指示できるような立ち場にいる人なんていません。普段の生活の中でも強気な人もいれば弱気の人もいて、たしかに指導をしたり、キャプテン副キャプテンなどの立場にいる人からすれば話は別かもしれません。しかしそのような目的とは別に変な上下関係を同世代で生み出してはいけないと私は思います。前回の授業でもあったように、「内向的な人は外向的な人にはない力をもっている」という考えをもっといろんな人に知ってもらいたいです。私自身もこういう考え方があるんだと感動しました。とはいっても、加害者はこのような言葉を聞いてもあまり関心を持つ人が少ないのが現状です。なぜ、人を苦しめて何も感じないのかとても疑問に感じます。また、いじめは世界レベルの問題であるというのがサイトを見てよくわかりました。それと同時に、以前英語の先生に国によっていじめのやり方は違うということを聞いたのを思い出しました。国の文化によっていじめの方法は違って、日本はわりと人に見つからないようにどこかに呼び出したりしていじめをすることが多いように感じました。国によって違うとなると、いじめの解決策も国によって異なってくるということになります。いじめは世界レベルの問題にまで発展してしまったけどそれを少しでも食い止めるためには、国や学校、または家庭など小さい規模でいじめ問題の解決に踏み切っていくことが今まで以上に必要となってくるでしょう。いじめ問題の解決策はあるのに実践しなければ何の意味もないと思います。今、この時間にもいじめを受けている人やいじめ問題をかかえて苦しんでいる人は多くいるはずです。一番早い解決策はいじめをしてしまう加害者自身が自分の行いを改めて見直して間違いに気付き、被害者に償っていくことだと思います。いじめ分析の課題の中に、「私は、いじめはいじめられる側といじめる側の考え方の違いによって起きているのではないか、と考えます。世の中には、本人は普通だと思っていることも、他人から見るとおかしいと思われることがよくあります。」という意見がありました。この文章を読んで、いじめが発生してしまう原因のひとつはここにあるのではないかなと思いました。しかし大切なことは、他人の意見が自分の考えと違っていたとしてもそのことを尊重して考えていくことだと思います。この考えをもっと一人ひとりが理解していけば、いじめ問題によって人が気づついたり誰かが犠牲になったりしなくて済むのではないでしょうか。ウィキペディアには多くのいじめが関係する事件が載っていました。きっとまだまだたくさんあるのだと思います。一年に一回のペースなどではなく数回、何十回と起きていることは全然知りませんでした。「いじめはいけないこと」だということは誰でも知っていることだと思います。そこから少しずれてその被害で苦しんでいる人のためになにができるのかをもっと考えていかなければならないし、これ以上問題を大きくしていかないようにもう一度「いじめ」について見直していきたい。




"exposed, repeatedly and over time, to negative actions on the part of one or more other persons." He defines negative action as "when a person intentionally inflicts injury or discomfort upon another person, through physical contact, through words or in other ways".(他の人の一部に繰り返し時間をかけてよくないことをする。言葉または他の方法で物理的な接触で別の人に対して怪我や不快感を与えることです。)ノルウェーの研究者の定義です。基本的にはわたしたち日本人と変わらない考え方をしているなと思いました。私がイジメと聞いてすぐに思いつくのは暴力や言葉で相手を傷つけることです。Bullying can occur in nearly any part in or around the school building, though it may occur more frequently in physical education classes and activities, recess , hallways , bathrooms, on school buses and while waiting for buses, and in classes that require group work and/or after school activities.(イジメは学校内外で、体育や部活動、廊下、スクールバスやそのバスを待つ間、クラスでのグループ活動、放課後などで起こる。)ざっと見た感じでは日本と世界のいじめ問題はあまり変わらないのではと思いました。外国も日本もイジメの対象はたいていクラスの中心的ではない人でした。そしていじめる側(加害者)といじめられる側(被害者)とイジメを見ているだけの人(傍観者)がいることもわかりました。傍観者は次に自分がイジメの標的になるのではないかという不安からイジメに加担したりする傾向があるようです。私はいじめがなくならない原因は傍観者にあるのではないかと思います。逆に傍観者が行動を起こせばイジメはなくなるのではないかとも思います。傍観者がいじめを大きくしている可能性があるのではないかと思います。加害者と被害者との関係に傍観者が交わることでさらに深刻になっている場合があると思います。例えば、誰かと誰かがもめごとを起こしたとする。そこに第三者がはいってくることによって、話は膨らみ、どちらかが悪者になるということもある。それがイジメになった場合、イジメをさせる原因を作ったのは傍観者ということになる。もし、自分が傍観者の立場ならまず状況を把握することが大切だと思います。そして傍観者たちだけで勝手に話を大きくしないようにすべきだと思います。周りがイジメをやめさせることも必要かもしれないけれど、根本的に解決するにはまず加害者と被害者で解決することが絶対条件だと思うからです。




Wikipedia(英語版)ではBullying(いじめ)のHistory(歴史)として、「High-level forms of violence such as assault and murder usually receive most media attention, but lower-level forms of violence such as bullying have only in recent years started to be addressed by researchers, parents and guardians, and authority figures.(攻撃や殺人のようなレベルの高い暴力はたいてい、ほとんどのメディアの注目を受ける。しかし、いじめのような暴力より低レベルのものはここ数年では研究者、両親や保護者と権威的存在の人たちにによって述べられてきているだけでした。)」とあった。いじめは私たち学生にとってはとても身近な問題であると思うし、教育委員会も問題視していて、さらに今ではメディアでもよく取り上げられている問題である。なのにも関わらず、いじめは一向に無くなる気配がしない。いじめ問題の解決方法を多くの人が考えていると思う。けれどどんなに偉い人や先生が解決策を考えたからといってなくならないのが「いじめ」なのだと思う。私の両親が幼かったくらいの40年近く前のいじめはドラえもんなどでよく見る暴力的いじめ、からかったり悪口を相手に面と向かって言ったりするいじめが主流だったと思う。それが、今は陰口をたたき、肉体的にも精神的にも苦痛を与える陰湿ないじめが多くなっている。このように時代とともにいじめのやり口が変化してきたように、これからもいじめの形は変化し、もしかしたらさらなるひどいイジメが増えるかもしれない。だから、だれかがイジメの解決策を一生懸命に考えていても、イジメは進行していくばかりなのだ。みんながスーザン・ケインさんのプレゼンを見て考えたように、内向的だろうと外向的だろうとお互いを理解しあい、相手の欠点も時には指摘しあい、時には受け入れる広い心を持つことがイジメの解決につながると思う。全員がそのような心を持つことができれば誰かが誰かを傷つけようとしても他の人たちが止めたり、和解させることができるようになるとおもう。また、「僕は、相手の嫌がることはしないという言葉を幼稚園などでよく耳にしました。」と述べた人がいたように、人として当たり前の行動をすることができれば、何もイジメ問題が起こる必要はないのです。ほかに「年に3万人も命を落としてしまう人がいて、その遺族の悲しみや苦しみを合わせると年に10万人以上の被害者がいるということになる。」と述べた人がいた。命を落としてしまう3万人という人数がどれほどの人数なのかが想像つかない。Jリーグの試合が札幌ドームで行われるときは2万から4万人程度だ。その会場内の観客全員が亡くなった人数と考えると恐ろしいものだ。そして10万人以上の被害者というのはどれほどの人たちなのだろう。それは私の頭の中では想像できない範囲だ。こんなにもの被害者が出ていても国の政府も地方の自治体も解決の政策や条例を制作できないのが「いじめ」だ。




まずイジメられる人は内向的な人が多いという意見が多かった。ニュースなどをみるにたしかにそうかもしれないと私も思った。逆にイジメとは関係ないですが、誘拐されたりする人はニュースの近所でのインタビューでは「いい人」「明るい人」と言われることが多く、イジメられる人の内面と対照的なのはなぜだろうと疑問がわいた 。海外のイジメは宗教や人種などが問題になっておこるイジメが多く、その一方で日本では班分けで一人だけ残ってしまったりうまくグループになじめなく一人になってしまうなどまわりがそう思っていなくても自然とそういう環境が発生してしまいイジメに発展することが多く海外のイジメには明確な理由があり日本にはそれがないというのが海外と日本の違いだと思った。




In the 2000s and 2010s, a cultural movement against bullying gained popularity in the English-speaking world.(2010 年代と 2000 年代では、いじめに対して英語文化圏の世界で注目を集めた。) The first National Bullying Prevention Week was conceived of in Canada in 2000 by Canadian educator and anti-bullying activist Bill Belsey.(最初の国民いじめ予防週間は 2000 年にカナダで教育者、活動家、ビルの反いじめ活動によって考案されました。)The charity Act Against Bullying was formed in the UK in 2003.(慈善事業行為に対するいじめは 2003 年に英国で結成されました。)In 2006, National Bullying Prevention Month was declared in the United States.(2006 年、国民いじめ防止月間が米国で宣言されています。)The Suicide of Phoebe Prince in 2010 brought attention to the issue in Massachusetts, and sparked reforms in state education.(2010 年にマサチューセッツで起こったフィービー王子の自殺の問題は教育状態を注意する改革のきっかけをもたらした。)The It Gets Better Project was started in 2010 to combat gay teen suicides, and Lady Gaga announced the Born This Way Foundation in partnership with Harvard's Berkman Center for Internet & Society in 2011.『It Gets Better Project』 は同性愛者の若者の自殺と戦うために2010年に始まり、そして、レディー・ガガは2011年にインターネットと協会のためにハーヴァードのバークマン・センターと協力して『Born This Way Foundation』を発表しました。




Bullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. (いじめは、肉体的にあるいは精神的に他人を傷つけることを意図し繰り返される、攻撃的な行為のことです。) It can include verbal harassment or threat, physical assault or coercion and may be directed repeatedly towards particular victims, perhaps on grounds of race, religion, gender, sexuality, or ability.(それは口頭のハラスメントあるいは脅し(暴行事件か脅迫)を含んでいるかもしれなくて、恐らく人種、宗教、ジェンダー、性あるいは能力の理由で、特別な犠牲の方へ繰り返し指図されるかもしれません。)The "imbalance of power" may be social power and/or physical power.(「力のインバランス」は社会的勢力および、または物理的な力かもしれません。)The victim of bullying is sometimes referred to as a "target".(いじめの犠牲者は時々「標的」と呼ばれます。) みんなの考えを読んでみると、やはり、スーザン・ケインさんの意見である「内向的な人は、外向的な人以上に内にとても大きな世界をかかえている」ということに初めて気付いて、それを支持している人が多かった。実際私もスーザン・ケインさんのTEDを聞いてその通りだと思った。けれど、“スーザン・ケインさんは「内向性はもっと評価され奨励されるべき。」だと言っているが、内向的な人が世界にものすごい才能と能力をもっているからといって、外向的な人よりも特別扱いされるのも少しおかしいと思う。外向的な人も自分の考えをしっかりと持っているし、内向的な人を手助けしてくれる存在になることだってできるはず。内向的な人、外向的な人、どちらとも評価されるべきだと思う。”という意見を読み、確かに「内向的な人だから」といって外向的な人を差し置いて評価されるのはまた違うなと思った。ほかにも、同じような意見があり、内向的な人も外向的な人も、差をつけず、平等に均等に評価していくことが大切なのかもしれないと思った。どちらにも優劣をつけないというその意識が、イジメをなくすための根本的なことではないだろうか。そしてお互いが協力し合うことで、外向的な人と内向的な人、どちらもそれぞれの能力と世界観を出し活躍できる社会をつくっていければいいと思った。




Bullying can occur in nearly any part in or around the school building, though it may occur more frequently in physical education classes and activities, recess, hallways, bathrooms, on school buses and while waiting for buses, and in classes that require group work and/or after school activities(イジメは学校のまわりや、その近くで発生することがある、けれども体育の授業中やその活動、休み時間や廊下、風呂やスクールバスを待っている間、クラスでグループでの活動を必要とする場面や学校での活動を終えた後により頻繁に発生するかもしれません。)僕はこの文章を読んで、今、日本でとても頻繁に起こっていて大きな問題になっているイジメの問題がアメリカなどの世界各国で発生している問題なんだと思いました。この文章では、アメリカでのいじめについてが書かれていますが、アメリカでおこっているイジメの問題と日本で起こっているイジメの問題はほとんど同じような場所や時間帯で起こっていることだなあと思いました。日本でのイジメはなんどもニュースやドラマでも取り上げられていてどういうものかがわかっていたのですが、アメリカやほかの国でも日本と同じようなイジメの問題があることがわかりました。今現在、イジメの問題は世界中の国々で起こっています。なぜこのような問題が発生しているのでしょうか。この文章を読むと日本とアメリカのイジメの内容や場所はほとんど変わっていない様です。学校でのイジメがとても深刻化しています。しかし、学校でのイジメは事前に防ぐことのできるものではないでしょうか。学校でのイジメは主に生徒たちが標的になっています。しかし、学校には多くの大人たちがいます。学校の先生はいじめについてもっと生徒たちにイジメの問題が世界中で起こっていることを伝えるべきではないでしょうか。小学校の生徒たちは先生がきちんといじめの問題について何度も注意することによって自分がいじめをしてはいけないということをわかってくれるはずです。中にはいじめている人がいじめているという自覚がないままイジメをしているということがあるようです。いじめている人が気づいていなくてもいじめられている人がとてもいやな思いをしているという話はよく聞きます。なので近くで見ている教師たちが自分がやられてみていやなことは人にしてはいけないということを何度も何度も生徒たちに注意するべきではないでしょうか。がっこうでのイジメの問題は教師たちの努力によって少しは防げるもんだいなはずです。なかには生徒が教師に相談していたにも関わらず、生徒がいじめによって自殺にまで追い込まれたという事件も多くあります。教師たちの怠慢によって生徒がいじめられ、自殺にまで追い込まれることというのは一番あってはならないことだと思います。なので、全世界の人々は子供たちにいじめをしてはいけないということを教えてあげるべきだと思います。そうすれば、学校で起こるイジメのほとんどはなくなると思います。いま世界中で発生している学校でのイジメの問題は大人達の努力によって防げるものなのです。




Bullying ranges from simple one-on-one bullying to more complex bullying in which the bully may have one or more 'lieutenants' who may seem to be willing to assist the primary bully in his or her bullying activities.(弱い者いじめの区切りは単純な一対一の弱い者いじめから複雑な弱い者いじめがあり、いじめっ子には一人か複数の取り巻きがいる場合があり、その取り巻きは求められれば主ないじめっ子がする弱い者いじめの行為を手伝うことも厭わないように思われるだろう。)私はこの文を読んで、漫画でもいじめが取り上げられたときは大抵いじめをする人のそばには取り巻きが一人以上必ずいる。取り巻きは主犯(と呼ばせてもらう)の行為を煽ったり、いじめられる人の反応を見て笑ったりしている。主犯と取り巻きが一緒になって一人のターゲットをいじめる場合もあれば、主犯のみがいじめる場合、主犯は見ているだけで取り巻きがターゲットをいじめる場合もある。いじめのターゲットとなるのは内向的な人になる。外向的な人から見て変り者ではみ出し者は自分たちとは違う、いわば異質な存在として認識し、それをいじめの格好の標的とする。内向的なひとは「暗い」、「地味」、「目立たない」、「表情に乏しい」などが一般的に言われているのではないだろうか。そんな内向的な人をいじめると、どうなるのか、という外向的な人の興味本位から始まって歪な形へと遂げたのが、今日問題になっているいじめではないのだろうか。また、内向的な人は人見知りということもあって他人とのコミュニケーションがうまくとれないのではないだろうか。「未就学児のころから集団の中での行動を教えられたが積極的な人間はいつも集団の中心で笑っていた。逆に一人が好きな人間は集団での行動を嫌い、だんだんと輪からはずれていいった。」、「集団の中心にいるような人間はみんなで行動することに楽しさを感じるがそうでない人間にとっては集団からの誘いも魅力的には思えず断る。そうしたら集団はその人に良い印象を覚えず避けはじめたりするのではないだろうか。」、という意見や私が知っているいじめから判断しても、いじめが始まるきっかけは、本当に些細な他人との違いなのだと思う。見た目で判断する場合もあるが、仲良しから相手のことを知っていくうちに「この人とは何だか合わないなあ」と離れる場合もある。大概は「気に入らない」人をいじめているのだと思うし、個人的なストレスからいじめているのかもしれない。主犯にも理由が分からないことは、第三者である私たちが介入しても絶対に解決しない。いじめを解決するには社会としてどんな人へも過ごしやすい居場所を作ることが第一優先にすべきだと思う。他人があれこれ首を突っ込むのではなく、分からないなりに両者が話し合える環境を整えるべきではないのだろうか。




The victim of bullying is sometimes referred to as a "target."(いじめの被害者は時々「標的」と呼ばれます。)いじめがなくならないなくならないというのはとても悲しいことであると言っている人がおおかたが占めていたこういういじめの問題を前にして、多くの人は不安に感じていると思う。僕が思うのは学校などのいるときは、外向的にふるまっている人でもみんなと離れるのがいや外されるのがいやと思っていてそういうふるまいをしているのではないかと思う。だから近年では表面上の付き合いなどで、にんげんかんけいもうまくいっていないことがおおいのではないかと思う。日本の学校の教育も「外向的であること」を是としてつくられていると思う。事あるごとにペアや班を組まされるし、集団行動など「いかに社会の一員としてやっていくか」という面が重視されているなとは思う。静かに考える時間は、テストのときくらいかもしれない。それは確かに重要なことだが、そういった学校生活で内向的な人が感じる違和感やコンプレックスがかなり大きいことは、想像に難くないと思う。職場でも、内向的な人はどちらかといえば「付き合いが悪い」などと言われてしまいがちな傾向はあるかと。本当は素晴らしい秘めたる力があるかもしれないのに、です。もっと独りでじっくり考える時間を作る、そしてそれを必要なものとして許容できる教育や社会が作れれば、もっと日本や世界が活力あふれるものになり、今まで出てこなかったようなアイデアが出てくるかもしれないと思う。唯一人で何かをずっとするということではなく、ときには仲間からいい影響を受ける。そういうことが大事になってくるのではないかと、周りの意見を見て思った。みんなの意見を見ているとなんて自分は平凡的でいたって普通のことしか書けないんだろうと思う。そして自分はあまりいじめについて、深く大変なことだと認識していなかったようにも思える。アメリカ人などからみると日本人は物静かでシャイなイメージだと思う。つまりアメリカ人から見ると日本人は内向的なのである、しかしそういう人間の集団とわずかな外向的な人たちでこの日本という国はこんなに進化してきた。日本という国自身が成功の例を示しているのではないだろうか。




僕の考えるいじめの解決策は、なにか発散できるものを別に作るということです。These bullies may taunt and tease their target before physically bullying the target.(これらのいじめっ子は身体的にいじめる前に、野次や、からかうことをします。)外国のいじめっ子は弱いものに向けて自分のイライラを発散しているんだと思います。それか自分のすごさを伝えたいだとかもあると思います。そしてこちらは肉体的な攻撃です。日本のいじめは身体的というよりかは、陰湿な蔭口だとか罵倒することが多いと思います。なのでこちらは精神的な攻撃です。一見違うように見えますが、文化が違うだけであっていじめっ子の心の中は変わらないでしょう。「何かに発散しなきゃ気が済まない」考え方をかえたらエネルギッシュな人ともとれるかもしれません。なので、人以外に発散できるものを探すのが良いと思います。実際にあった話ですが、僕の友達で良い奴ですが、ときどき暴力的になる奴がいました。そいつは転校してしまったのですが、最近札幌工業高校のフェンスにボクシングの高体連でものすごく良い成績を残したという看板がありました。だから、個人個人に合う発散するものができたら、何か良い方向で素晴らしい成績だ生まれるかもしれないと思いました。




私はまず傾向を分析し、いじめとは何かと考えました。基本的にいじめとは他人を言動や暴力で肉体的、精神的に痛めつけたりすることです。それは集団で個人をターゲットにすることが多く、リーダーシップをとって人々の中心になっている人ではなく、あまり人とかかわらない内向的な人がやられることが多いです。英語版wikiではBullying is the activity of repeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally. (いじめは、物理的または精神的に他の人を傷つけるように意図繰り返し、積極的な行動の活動です。)と定義されている。いじめとはやはりえげつないものです。では次にいじめとはどちらに非があるのでしょうか。多くの人はいじめてる側のほうが悪いといいますが、中にはいじめられるほうも悪いという意見もありました。わたしはいじめてるほうに非はあると思いますが、やはりいじめられてるほうにも非があると思います。いじめのパターンによって違いますが、いじめている側の人がいじめられているほうになにか不満を感じたときにおこるケースが多いと思います。個性的な問題であればいじめているほうに完全に非がありますが、いじめられているほうがなにかやったのであればそれはまた別の話でしょう。要するにいじめとは両者に何か非があるからはじまるものなのではないでしょうか。最後にいじめの対策についてです。ほとんどの人が国は対応不足だと言って言いました。私もそう思いますね。ニュースでいじめの問題についてみていても、学校や政府は明らかに対応不足だということがわかります。いじめがあるのに「うちの学校にはいじめはありません」などとごまかしたいるから自殺してしまう子供が多いのではないでしょうか。いじめを完全になくすことはできないと思います。ですがその数を減らし、自殺者をなくすことはできるのではないでしょうか。いじめによって自らの命を落とす人が減ることを私は願ってやみません。




There is evidence that bullying increases the risk of suicide.(いじめと自殺のリスクが増加する証拠します)今回自分が全体の意見を見て感じたことは、ほとんどの人がスーザン・ケインさんの「外向的な人よりも内向的な人には特別な力がある。」という意見に賛同しているということです。自分はそうではないという意見を書いていたので、少数派の意見でした。ですが、いろいろな人の意見を見ていると確かに内向的な人には特別な力があるのではないか、と思えてきました。「いじめに耐えることができたいじめられている側の人間のほうがよっぽど強いと思います。その人がいつか社会に出て、人とかかわることができたらものすごいパワーを発揮すると思います。」という意見を見て私は確かにそうだな、と思いました。苦しいことや辛いことを乗り越えてきた人は、今後、どんなに辛いことが待っていようともその強い精神力でまた乗り越えることができるのではないでしょうか。自分で言うのもなんですが、私は、内向的ではないと思います。なので、正直内向的な人の気持ちもよくわかりません。しかし、大事なのは外向的な人が内向的な人の気持ちを深く考え、理解することだと私は思います。全体の意見を見てみても同じ様な意見の人が何人かいました。先ほども書きましたが、「いじめを耐え抜いた人は、強い精神力を持っていて、どんな困難も乗り越えられる。」ということですが、実際には耐えることができず自ら命を絶ってしまう人もいます。先生の話によると1000年に1度起きるか起きないかくらいの地震であった東日本大震災での死者は2万人を超えたそうです。しかし、日本では年に約3万人もの人が自殺で亡くなっているそうです。これはどれほど自殺問題、いじめ問題が深刻なものなのかがよくあらわれていると私は思います。そのいじめ問題を解決するには、外向的な人と内向的な人がお互いをよく理解し合い、そのふたつのタイプの人たちがお互いの良さを引き出していくことがいじめ問題を解決する方法間のではないか、と自分は考えました。自分もこの考えを、そして、他の人の意見も参考にしていろいろな解決策を実践していき少しでもいじめ問題の解決に貢献できればな、と思います。今では自分もスーザン・ケインさんの意見に賛同しています。




The "imbalance of power" may be social power and/or physical power.(“力の不均衡”が社会的な電力およびまたは物理的な力かもしれません。)みんなの意見をみると、IDになってるから誰の意見かは分からないにしても、結構みんなが自分自身を内向的だと思っていることが分かった。みんながその人のことを内向的だと思っているし、その人も自分自身のことを内向的だと思っている場合、みんなはその人のことを内向的だと思っているが、その人は自分自身を外向的だと思っている場合、みんなはその人のことを外向的だと思っているが、その人は自分自身を内向的だと思っている場合、みんながその人のことを外向的だと思っているし、その人も自分自身を外向的だと思っている場合の4パターンがあると思った。自分自身の自分に対するイメージと、みんなからの自分に対するイメージが違えばきっとそのギャップに困惑することもあるかもしれない。自分自身の自分に対するイメージと、みんなからの自分に対するイメージが一致していても、それが「自分の望む自分の姿」でなければ、その人は自分自身を変えたいと思うだろう。いじめが起こるのには「印象」が深くかかわっていると思う。いじめ加害者が、いじめ被害者がどんな人間なのか、どんなことを考えているのかなど、いじめ被害者のことを深く深く深く深く深く深く深ーーーーーーく理解したうえで、それでもいじめをしているというケースはほとんどないだろう。いじめのほとんどは、加害者側の偏見だと思う。いじめ被害者に対して「なんか気持ち悪い」「なんかうざい」「なんかむかつく」など、漠然とした理由でいじめを始めることが多いのではないか。いじめ加害者は、自分がなぜその人のことをいじめることになったのか、ほとんど意識していないだろう。だが、いじめ被害者は自分がなぜいじめられているのか一瞬たりとも忘れはしない。いじめ加害者にとって、「なぜ」ということは重要ではないかもしれないが、いじめ被害者にとって、「なぜ」ということが最重要だと思う。自分がなぜいじめられるのか、その理由が分かれば、いじめられないようになんとか自分で解決策を見出すことができる。「偏見」は、悲しいものでいつの時代になってもなくならない。私たちがこれまでの授業で習ってきた歴史に「偏見」という言葉は何度出てきたことだろう。肌の色が違ったり、眼の色が違ったり、髪の色が違ったり…そういう見た目や環境などの今さら変えられない事実で、これまでの歴史で何人の人が死んできただろう。見た目が原因でいじめが始まるのなら、人間に目なんていらない。みんな目が見えなければ、いじめなんて始まらないのだから。大切なのは、目に見えることに騙されないで、偏見や差別をなくすこと。みんながもう少しずつ大人な価値観を持てば、いじめはなくなるだろう。


 

Bullying ranges from simple one-on-one bullying to more complex bullying in which the bully may have one or more 'lieutenants' who may seem to be willing to assist the primary bully in his or her bullying activities.(単純な一対一のいじめから弱い者いじめにはいじめっ子のいじめ活動にあたり主要な弱い者いじめを支援する気があるかもしれない一人以上のリーダーがいるかもしれないのでいじめは複雑ないじめになっていきます。)今回の課題はイジメ問題の解決策を探るというものだった。全体の解決策の傾向としては、イジメそのものの原因を探した人と、すでに起こってしまったイジメをどう解決するかを探った人に大きく分けられるだろう。原因を探った人の意見では、いじめはいじめられる側といじめる側の考え方の違いによって起きているのではないか、内向的な人や外向的な人の長所や短所を互いに理解しあって、協力のできる社会をつくればいじめは解決できるのではないのか、完璧な平等は実現できなくても、それを目指そうとする思想とある程度の平等を実現させることが必要だ、お互いを理解しようという気持ちがなくてはイジメは消えないと思う、周りがこいつはこういうことができそうだな、ちょっとやらせてみよう。そういうことを外向的な、人が考えて内向的な人が自分の利点を生かす、そういう社会にしていくことがよりよい社会につながっていくのではないだろうかと思っている。だからいじめをなくすということに関しては、内向的な周りと付き合わない人間が、いじめられがちだが、外向的な人間が内向的な人間とあまりかかわらないことで、その人のことをわかってあげられていないのではないかと思う。だから周りの人はその人はどういう人間でどういう利点があるのかということを理解していくべき、などという意見があった。すでに起こってしまったイジメの解決策では、外向的な人が外向的な人同士で意見を交わすのではなく、内向的な人の意見を積極的に取り入れることが重要、内向的な人が「自分は内向的だからいじめられるんだ」などと思わないこと、先生が中心となって解決するべきだ。しかし、先生がいくらいじめをなくそうと注意したって、いじめはなくならない。なので、生徒に注意を呼び掛けるのではなく、先生方の指導力を向上させるべきだ、内向的な人は意見を周囲に発表することが苦手だが、それでも意見に耳を傾けてあげることが大切だ、外向的な人が内向的な人が秘めているパワーを認め、お互いによく理解し合うこと、などがあった。他には、いじめの問題を解決するにはもっと教師側が生徒たちとコミュニケーションを図り、学校内でのいじめについて正確に把握しておく必要があると思います。また、いじめている人本人たちにはいじめているという自覚がない場合もあります。ただなかよくからかっていただけでも、やられていた人はつらいと感じている可能性があります。そのことを含めて教師たちが学校内での人間関係を正確に把握しておくことが何よりも大切だと思います。また、いじめが現在深刻な問題になっているということをもう少し生徒たちに警告するべきだと思います。日本ではいじめの問題による死者が年々増え続けています。生徒たちが自覚していない内にいじめに発展していたら防ぎようがありません。なので教師たちはもう少し、生徒達にいじめの問題についていろいろなことを教える必要があると思います。また、いじめが原因で自殺に追い込まれた人の中には、生徒が教師に相談していたにも関わらず、教師がそれについて何もせずにいた結果生徒が自殺してしまったという事例もあります。生徒が教師に相談していたにも関わらず、自殺にまで追い込まれてしまったというのは論外だと思います。教師がいじめている人に対してただしい処置を施していれば、防ぐことができた自殺だと思います。生徒にとっては頼ることのできる唯一の存在なので、こういうことにはなってほしくないと思います。現状のいじめの問題による自殺は教師側がきちんとした対応をしていれば事前に防げていた場合が多いです。教師は生徒に対して、もうすこし真剣になっていじめ問題の減少に努めるべきだと思います。という意見もあった。このスーザンケインさんのTEDの動画を見て衝撃を受けたという生徒も結構いて、内向的な人のことをより考えさせられるいいスピーチだと思う。





最初に思ったのは、やはり内向的な人はいじめられやすいということです。私もそう思うし、実際に外向的な人がいじめられたなどという話はよっぽどその人に問題がない限りないように思います。そして私たちが生まれる前から存在しているいじめは進化しています。最近、スタンダード(と言っていいのかわからないが)な誰もが想像するいじめは根強く残っているのだが、さらにネットいじめなどの顔を見ずに精神的に追い込むものがふえてきているそうです。でも変わらないのはみている人は知らんぷり、いじめられる人は周りから弱いと思われている人であるということです。弱い者いじめはだめですよ。と昔から言われてきました。その当時は素直に受け入れていた言葉ももしかしたら今は何の意味も持たない言葉になってしまったのかもしれません。でも私は昔教えられたことが無意味になろうとも弱い人を大勢で傷つけたり、卑怯な手で悲しませるいじめはあってはならないと信じています。Those individuals or groups who most readily react to stressful situations by perceiving themselves as 'victims' tend to make the most suitable candidates for becoming the 'targets' of chronic bullying.(これらの個人やストレスの多い状況を '犠牲者として自分自身の知覚によって反応する最も容易にグループは慢性的ないじめの 'ターゲット'になるため、最適な候補を作る傾向があります。)結局はどこの国も同じです。自分のストレスのはけ口の対象としていじめるターゲットを決めるのだと思います。このようなことは私たちが生まれるずっと昔からありました。まだ侍や百姓が存在したころ、この日本でも身分の差というものがありました。そして身分が低い者につらいことをさせたり、理不尽なきまりを作ったのです。それはもともとは自分より下だと思える人がほしい。という自分勝手な意志からです。こういう点への解決策としては人々は皆平等であるということをしっかり心に置くことです。とはいえこんな宗教のようなことは考えられません。いじめというもの自体がなくなるのが一番な気がします。これは薄っぺらい意味ではなくてこの世にいじめがなくなればいじめようとかも考えなくなるのではないかと思いました。きっと私と同じように考える人がたくさんいると思いますがそれでもなくならないのは言っているだけで行動しないからだと思います。そう言っている私も一度もいじめを止めたことがありません。実際見たこともありません。いじめの解決策ではなくいじめによる自殺の解決策として、相談できる場所を作ることが求められており、徐々に増えてきてるように感じます。これの影響で自殺する人も減ってほしいと思います。私が最近思うのは、死ぬ勇気があるならいじめに耐える勇気もあるんじゃないか。ということです。自殺を考えている人にそのことも伝えたいです。他には、個人個人が変わることで何かが変わるのではないかと思います。相手を尊敬してみる。相手を信頼してみる。いじめようと思った時、いじめることがどんなにかっこ悪いことかわかるようになる。いじめてるつもりのない人はきっとただのバカだとわかる人間になる。これらを簡単なことだと思えたら、いじめをしない。または止められる人だと思います。いじめをする人間は楽しいのかな。とたまに聞きたくなります。少しオーバーな例えかもしれませんが殺人を犯した人は狂った人でない限り、楽しい気分にはならないと思います。結果的に、いじめが楽しくないと分かればいじめはなくなると思います。




Bullying can occur in any context in which human beings interact with each other(いじめは人間が互いに交流することが実在すれば、いつでもどんな場面でも起こすことができる。)私はこの記事を読んでたしかにいじめは人々が交流しない限りおこらないことだし、私たちが通ってる学校でおこっても今の日本ではおかしくないことなので人々が交流する中でどうやっていじめをなくしていくのかこれから考えるべきだと思った。いじめ問題は今やこんなにもニュースなどで取り上げられているのに解決策がなかなか報道されないのは今の日本にとってよくないことだなと思し、社会全体で考えていかなければいけない大きな問題になっていると思う。いじめられて自殺してしまった人たちは、相談する人がいなかったり先生などが味方になってくれないなどの理由で自殺してしまったんだと考えると、いじめる側も悪いけど支えてくれなかった人達にも問題はあると思う。いじめ問題をなくすためには、内向的な人や外向的な人の考えを人々に理解してもらうこと、まわりの考えに流されず自分の考えをだすことはすばらしいということをみんなにわかってもらうこと、が重要だと思う。わかってもらうためには授業の一環として子供たちに先生が教えてあげればいいと思う。また、クラス内にいじめが起きていた場合は担任の先生一人に問題を負わせるのではなくて、学校の先生全員で協力するなどの対策をとれば、担任の先生も見て見ぬふりをすることは少なくなると思うし、いじめや自殺も減少していくのではないかと思う。この先どうしても日本のいじめ問題が悪化してしまったら、最終手段として法律上でいじめの罪を今以上に重くすることも一つの手だなと思った。日本のいじめ問題の特徴として、学校側が否定してしまうことはいじめる側だけではなく大人たちのせいで自殺してしまったなどの原因が考えられるのでいじめる側だけではなく知っていてしらないふりをしていた人も犯罪だとみなしていいと思った。また、いじめられている人が相談しやすい環境をつくったり、電話で相談なども気軽にできるように今後何か社会全体で大きく何かが変わらないかぎりいじめが減少することはないなと思った。学校だけでなく職場などのいじめや、教師いじめなどのいじめがあったりと、いじめには様々な種類があるので今後のいじめ問題をみんなでかんがえていくことでいじめは少なくなっていくと思う。




Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power. It can include verbal harassment or threat, physical assault or coercion and may be directed repeatedly towards particular victims, perhaps on grounds of race, religion, gender, sexuality, or ability.The "imbalance of power" may be social power and/or physical power. The victim of bullying is sometimes referred to as a "target."(いじめは、特に振る舞いが習慣的で、力のインバランスを含んでいる時、他のものに影響するために武力行使か高圧によって明示された攻撃的な振る舞いの形式です。それは口頭のハラスメントあるいは脅威(暴行事件か高圧)を含んでいるかもしれなく、人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティあるいは能力の理由で、特別の犠牲の方へ繰り返し指図されるかもしれません。「力のインバランス」は社会的勢力および物理的な力かもしれません。いじめの犠牲者は時々「目標」と呼ばれます。)みんなのいじめ問題に対しての解決策を読んでみて、ほとんどのひとが内向的な人の意見をもっときいたり、個性を尊重したりしたほうがいいと思ってるんだなと思った。いじめをする人はなぜ内向的な人をターゲットにするのか。それはきっと自分よりも弱い、できないなど下に見てるからだと思う。内向的だからといってなぜすぐにそう決めつけるのか。確かに見た目や雰囲気などは外向的な人より弱く、あまり物事ができなく見えるかもしれない。しかし内向的な人はうまく表現したりできないだけで素晴らしい意見や特技があるかもしれない。見た目で人を判断するという根本的な考え方をみんな見直したほうがいいと思った。いじめをして何が楽しいのか。ただの自分のストレス発散や、自己満足のためだけに大切な命が奪われてしまっていることをいじめをしているひとにもっとよく考えてほしい。そして、弱い人をターゲットにいじめている人たちはいじめることでしか気持ちを表現できない自分のほうが人間的に弱いということに気付いてほしい。いじめ問題を解決するには、1人でも学校でも都道府県が変わるだけでも足りない。国全体がかわらないとこの問題は解決しないと思う。いじめは主に学校で起きている。いじめなんかよりもっと楽しいことが学校にはたくさんあるのになぜいじめというくだらないものに無駄な労力を使うのかが私には理解できない。いじめをしている生徒がいることに先生方はもっと気付くべきだと思う。気付いているのにもかかわらず、知らないふりをしている人も少なくないと思う。いじめはやめましょうと言っている大人たちがそのような状態でいじめがなくなるはずがない。いじめをしている人が変わるのも大切だが、身近にいる大人たちも変わる必要があると思う。いじめはやめましょうという活動をするだけではいじめ問題の解決にはならないと思う。1人1人が根本的に人間性をどうにかしないと解決にはならないのではないかと思う。




まず、みんなの意見をまとめていきます。みんなが着目していることはスーザン・ケインさんの内向的、外向的人間についてです。それらのタイプの人間はどのような特徴があってどんな性格なのかと思考する人が多いなと思いました。また、And what I'm saying that culturally we need a much better balance.(私が言いたいのは社会として両者をもっとうまくバランスをとる必要があるというこです。)We need more of a yin and yang betwee these two types.(陰と陽のように両方必要なのです。)というようにスーザン・ケインさんの言いたいことを書き解決策を考えてる人も多かったです。そして、(私は「内向的」と「いじめ」の間には関係性はないと思います。)(内向的な人の能力も認めることが、外向的な人も内向的な人ものびのびと生活ができ、いじめを減らせるだろうと思います。)(だから解決策はありません。)というようにそれぞれの意見があり、たくさんの人が内向的な人に着目しているとわかりました。しかし、解決策がないと言っている人は、もう少し見方を変えれば何かわかるのではないかなと思いました。英国版ウィキペディアよりいじめについての定義。Bullying is the activity ofrepeated, aggressive behavior intended to hurt another person, physically or mentally.(いじめは、物理的または精神的に他の人を傷つけるように意図的に繰り返し、積極的な行動の活動です。)Bullying is characterized by an individual behaving in a certain way to gain power over another person.(他の人を介して力を得るために特定の方法で、個別行動によって特徴づけられます。)次に日本版のウィキペディアのいじめの定義を見てみましょう。「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」と文部科学省から言われています。比べてみると英国も日本も似ています。しかし、定義が同じだからといっていじめの内容は?といったら違うと思います。たとえ定義が似ていてもやっていることは同じです。しかし内容がちがったりもするのでそれぞれの国でそこにあったいじめの解決策考え、実行しなければいけない。と思いました。内向的、外向的な性格の人はそれぞれの国でいると思います。なのでその国その国のタイプの特徴を調べ解決策をとっていかなければならないなと思いました。



Bullying is a form of aggressive behavior manifested by the use of force or coercion to affect others, particularly when the behavior is habitual and involves an imbalance of power.(いじめは強制行動習慣動力の不均衡から生まれるあきらかに攻撃的な形特で他の人に影響する行動です。)The victim of bullying is sometimes referred to as a "target".(いじめの被害者は「ターゲット」と呼ばれます。)Bullying consists of three basic types of abuse ? emotional, verbal, and physical.(いじめは、虐待、感情的な言語、および物理的の 3 つの基本的な種類で構成されます。)皆さんの意見の多くはスーザンさんのスピーチの内容に賛成で、内向的な人の力を引き出してあげるべきだというものでした。しかし何人かの人は、素晴らしい考え方の持ち主でも内向的だったらその意見を発言できず意味がない。と言っていました。なので周りが発言しやすい雰囲気をいい感じにかもし出すことが必要というのが、皆さんの意見のまとめです。



いじめに対する考え方として、もちろん批判的な意見ばかりで、賛同するような人はいなかった。だがいじめは、文中に合った言葉を引用すると「世界中に蔓延しているこの問題を私は事実上解決策などない」というように止めても止めても出てくる問題であると思うし、終わりはないと思う。しかしそこで諦めてしまっては、自殺する人はもっと増加してしまい、日本だけでなく世界中が苦しめらられることになる。この問題は止めることは不可能だとしても、抑止することに全世界で協力し取り組んでいくことは、とても大切であり、そのかすかながらの支えがあることで、いじめられている人は「自分のために頑張ってくれている。」という希望がもてる。一人ひとりのいじめに対する小さな働きかけがいじめられている人には大きな働きかけのになると思うので、全員で協力して働きかけていきたいと思った。



海外ではイジメというものを力で現わしていました。日本のイジメは物理的ではなく間接的、もしくは精神的にねちねちと行うことが多いのですが、アメリカの場合、物理的イジメが殺人に至るケースもあるようです。やはりイジメは万国共通、大変な問題のようです。そんな中でもイジメがなくならないのは、人間の本能だと思います。昔から集団から外れた人はずっと仲間外れにされています。イジメは何も生まない事をいろんな人にしってもらいたいです。イジメることに何の意味があるのか、その行為に対して世間がどう向き合っていくか、大事になってくるはずです。



Bullying consists of three basic types of abuse - emotional, verbal, and physical.(いじめは、感情的なもの、口頭なもの、身体的なものの3つのタイプから成ります。)まずはこの文章を読み感じたことは、確かにその通りだなということ。だけど一番あってはいけないのが身体的なものと思われるかもしれないが私には口頭なものだと思う。言葉は簡単に、身体的なものよりも深い傷を残す。思ってもいない言葉を発しやすいのも原因は口です。身体的なほうのいじめは深い注意により気をつけたり、減らすことができます。それは本人のコントロール次第でよくも悪くもできるということです。『わたしは自分では自らを内向的だと思っている。極度の人見知りで初対面の人とは特にうまくかかわれない。しかし社会が必要としている人材に求めることはコミュニケーション能力である、と聞いたことがあり、それからはどうにかコミュニケーション能力を高めようと思い立ち学校のような集団の場では明るくふるまっているつもりだ。だがしかし今日、このプレゼンを視聴してそんなこと必要ないのかもしれないと思った。』この文章を読んで思ったことは同感に近いもの。私は自分を内向的とは思うことはあまりないけれどそういう人だって中にはいます。初対面を苦手とする人は世の中いたくさんいるでしょう。私はクラス変えとかで新しく出会った人達とは話せるには話せるけど、やっぱりちょっと不慣れなものだから「初対面と接する」ことがとても好きというわけじゃないです。やっぱりどんな人でも緊張したりするものです。プレゼンの内容は内向的な人が必要とされている場もあるということだったから、自分の性格を無理することなく普通に過ごしてもいんじゃないかと同感を持ちました。自分を貫かず本心を隠して過ごすことのほうがストレスになったりすると思います。『私は、「内向的な人は地味で、積極性がなくて、いつも一人」といった偏見をなくすべきだと思った。逆に外向的な人はいつもグループを作り、誰かに意見を合わせているためオリジナリティに欠けている』人間の本能と言うのかよくわからないけれど、基本どんな物事に対しても偏見があるのはマイナス面についてばかり。このことも内向的な人って別にマイナスになるわけでも他人に支障を与えるわけでもないのにも関わらずなぜか非難されいじめのマトにされそうになることが多い。だからこそみんな「明るくいなきゃイジメにつながるかもしれない」という不安を背負って生きているのかもしれないけど、この人の意見を読んで、なんだかそれも馬鹿馬鹿しいと思いました。非内向的な人だって、自分を隠し「明るくいよう」とするばかりに他人の意見に流されたり合わせたりしている。もっと自分を貫け。と思ってしまうことも多々あります。この人の意見を読んでからは非内向的な人も偏見をもたれても仕方ない要素があるんじゃないかと思い始めました。『日は、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが発生してちょうど11年です。結論から言うと、私は、「いじめ」と、このような「テロ」若しくは「戦争」が関係していると思っています。いじめを認めることは戦争に賛成することと同じです。この考えの根底にあるのは「武力で解決する」か「話し合いで解決する」か、ということです。人と関わっていれば、必ずなんらかの問題が起きます。意見のくい違いだったり、意志の疎通ができていなかったり、被害を被ったり…例を挙げたらきりがないですが、本当にさまざまな対人トラブルが存在します』この意見は大変興味深いものでした。戦争は、今の世の中私にとってはあまり意識していない事でした。イジメと戦争を同格に捕らえるという考えがすごいなと思いました。たしかにこの人の意見を読んでからは似たようなものがあるなという考えが浮かびました。根底に「武力で解決する」という精神が全くない人間が誰かをいじめるなんてことがあるでしょうか。いえ、ないはずです。暴力とか、言葉とか。それが加害者の「武器」でなんでも他人に「傷」を与えることは戦争と同じ…。日本は昔たくさんの戦争を重ねてきました。今は戦争問題がないのに、いじめの問題が年々増えていく。「武器」による被害の問題はもしかすると約70年近く、消えたことはなかったのかもしれない。『いじめは、いじめられる側にも問題があるとよく言いますが、そこに注目したいと思います。(1)明らかにいじめられる側にも問題がある場合、この場合に関しては、周りの人間が助け船を出す必要はないと思います。自分たちで解決するか、先生にたすけをもとめればいいだけの話だと思います。また、この場合はいじめではなく、長期にわたる喧嘩だととらえるのが妥当だと思います。(2)いじめられる側には問題がない場合、周りが解決策を考えなければならないのは、この場合のいじめに限られると思います。いじめる側の感覚で、ただなんとなくむかつくからとか、見た目とか、そんな理由でいじめられている人を周りは助けるべきなのです。』この意見について思ったことは(1)助け舟の不必要について。たしかにそうかもしれないことを述べてますが、だけど被害者本人は、自分に何か理由があるからいじめられていると気づいてないかもしれません。だからこそ周りが気づき助け舟を出し、そこで被害者にも加害者にも両方に指導をするべきなのではと思いました。このまとめを読んで思ったことは最初のほうは賛成な意見が多いのもあり、やっぱりみんないじめに対する考えは似ているんだなと思いました。Bullying ranges from simple one-on-one bullying to more complex bullying in which the bully may have one or more 'lieutenants' who may seem to be willing to assist the primary bully in his or her bullying activities(単純な一対一のいじめから弱い者いじめには彼らのいじめにあたり主要な弱い者いじめを支援する気があるのかもしれない。一人以上の『大尉』がいるかもしれないから複雑ないじめになってしまう)そもそもいじめは人の価値観によって感じ方は異なりますが、「単純なもの」「複雑なもの」などと言って片づけてしまってはいけないと思います。そりゃ、無視されてしまういじめなどと、暴力などのいじめでは身体的にも違うかもしれません。だけどいじめはいじめ。変わりはないのです。今の世の中では、だれかいじめられるターゲットを常に持っていて、周りの人たちいはいつ、自分がターゲットになってしまうのか、恐れていて、集団でしか行動をとれずにいます。自分の素を隠しながら、自分がいじめられないために。だからこそ自分じゃないターゲットに対し、自分がいじめられない安心感からか、弱いものいじめに支援してしまう。最初は1vs1だったいじめが、今では1vsクラスになっている、というケースもあると思います。いじめている人の全員が、同じ思いを想っているはずです。「自分はいじめられたくない。だから自分に回ってこないために、だれかに傷を付ける」この精神をみんなで分かち合うべきなのです。『班編成の時に一人だけ残るとかそのようなことがあります』(引用)このことからいじめにつながると書いてありました。私個人としては、仲の良い子と班とかは組みたいけれど、人数制限で厳しいときなどもありますよね。そういう時は違う子の輪へ行き一緒に行動したりもしますが、そういうことが難しい人がいますよね。話すのが苦手だとか。みんなが全体に目を配って、仲の良い人たちで集まるのもいいことかもしれないけど、少しずつ解体し組み合わせたりして、工夫をしただけで一人だけはずれてしまう子が削減できるんじゃないかと思います。『やはり大事なのはそのことに気づいてあげる第三者の存在』(引用)このことについてはもっともなことだと思います。被害者は自分がいじめられていることをなかなか相談できずに孤独になってしまいがち。先生とか大人が気付かないなら(それにも問題あるけど)、やはり手を差し伸べることができるのは第三者。私たちなんだと思います。私たちだって何かをすればいじめを止めさせることだってできると思います。私の今のクラスにいじめとかはないけれど、悪ふざけが悪化してしまうことも稀にあります。そんなときは周りのみんなが「それはもうそろそろやめようよ」「いやいや、やりすぎだって」などという風に指摘をしています。なのでけんかなども起こらないし平和です。ちょっとしたことであってもそういう風に『やりすぎ』を指摘してくれる仲間がいるからこそ、私のクラスだけでなくいろんなクラスでいじめがないんだと思います。第三者の力は偉大なんだと思いました。『「苛められる側に対する「偏見」が根底にあるから」と仰っていますが、「なぜいじめをするか」と言ったら「簡単だから」なんですね。手っ取り早く敵を打ちのめして、自分の欲を解消することができる。もしかしたら、いじめることで欲を解消している人もいるかもしれません。』(引用)つまらない欲の解消法だと思いました。これではいじめの被害者も加害者も人生輝きがないと思います。特に加害者。他人を傷つけ喜んで欲を満たしてるようなら頭おかしいです。もっとほかにスポーツとか、自分を熱中させることができるものに出会うべきです。そうすればいじめは加害者のほうがどんなにみじめで愚かだったか、気付くことができます。だから、いじめはそうなってしまう前に自分を熱中させるものやそういうものを引き留めてくれるようなすばらしい仲間を持つべきなのです。『最近、学校でいじめがあって自殺した男子中学生がいます。夏休みの宿題が終わらないからという理由だけで自殺しようとした小学5年の女子児童がいます。』(引用)この文を読んで初めて思ったことがあります。いじめをなくす=自殺削減だと思っていましたが、後者のほうはいじめが原因で自殺しようと思ったのだろうか?という疑問。いじめをなくすのと自殺削減はもしかすると=ではなく≒かもしれない。今日本は自殺者の削減を目指しているのが本心なのか?そうじゃなく、『いじめ』と向き合うことがまずは初歩中の初歩なのだと思います。いじめの課題はたくさんありましたが、いじめに関してみんなの意見を読んでまとめることができたりしてよかったです!